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源氏物語ー融和抄ー横笛の秘密

 光源氏の好敵手頭中将の子柏木は、光源氏の正妻となった女三の宮の姿を、御簾がめくれ上がった拍子に見てしまいます。それ以来抱いてしまった恋心を抑えきれず一線を超えてしまい、女三の宮は懐妊してしまいます。
 光源氏は事情を察してはいますが、自身もまた父である当時の桐壺帝の寵妃、藤壺の宮と子を成した(後の冷泉帝)経緯があり責め立てることも出来ず、時間だけが過ぎていきます。
 そんな中柏木は自身が犯してしまった事の大きさにいよいよ苛まれ、病となり亡くなってしまいます。そして女三の宮は出家します。六条院では実の父母が傍に居ない中、幼子(後の薫)が成長する様子が描かれます。

 光源氏の子夕霧は柏木とも親交があり、遺品として柏木が愛用していた横笛を譲り受けます。そのようなやり取りの中、夕霧はなんとなく事情を察していきますが、ハッキリとは言葉にしないまま、横笛を光源氏に渡すのでした。その夕霧の行動の動機は、物語中には記されていません。

 この横笛の存在が、光源氏と柏木の業を暗示しているように思えるのは、おそらく私だけではないだろうと思います。
 光源氏の業は柏木の業を通し、光源氏の手元に横笛となって返ってきたわけです。
 ですから、それを承知している光源氏と夕霧は、敢えて何も言葉を交わさず横笛を差し出し、そして受け取ったのでしょう。
 ただ、それが元々は自分の身から出たものだとはっきりと自覚していたのは光源氏と紫式部、そして読者だけだったかもしれません。

 紫式部はそれを表すものとして、何故横笛を用いたのでしょうか。
 そのヒントもまた、『伊勢物語』に見つけることができます。
『伊勢物語』第六五段「在原なりける男」で、在原業平とおぼしき男は、清和天皇の女御二条の妃(藤原高子)に恋慕します。しかしこのままでは身の破滅を呼ぶと、恋心を抑える為に禊祓いなどをしますが、どうしてもおさえることができません。そのうちに、帝の知る所となり男は左遷され、高子は清和天皇の生母によって蔵に閉じ込められ折檻を受けます。
 そんな高子の耳には、夜になると笛の音と歌が趣深い様子で聞こえてきます。在原なる男が来て吹いているものと思う高子は、「自分はこのような状態で生きているか死んでいるかも分からないというのに、会えると思って来ているのですね…」と感傷的になります。
 男は男で、「会えずに虚しく帰ることになるのだが、会いたい一心で来てしまう」と歌を詠みます。

 このような内容になりますが、この段の最初には男が詠むこんな歌があります。

思ふにはしのぶることぞまけにけるあふにしかへばさもあらばあれ
思う心の前に、しのぶ心は負けてしまいました。貴女に逢うためなら、どうなってもかまいません。

 『伊勢物語』第一段には、源融の信夫の歌が引用されていました。この段でも、しのぶ事、しのぶ恋心がテーマであります。
 信夫恋、忍ぶ恋。当時の平安貴族達の間では、忍ぶ恋心を巧みに詠む事を競い合っていたかのような印象があります。それが風流人としての嗜みであるかのように。そういう中で、第一段に源融の歌が引用されるということは、「忍ぶ恋の歌といえばこの歌です」というイメージが『伊勢物語』が成立した頃には出来上がっていたのでしょう。

 そんな中、忍びきれず「色に出でける」三人の貴公子の手には、横笛が渡された、ということになるのでしょうか。
 特に、『源氏物語』作中では、光源氏と柏木の間で、因果が巡る有り様が容赦なく炙り出され、続いて、生まれた薫は自分が愛する女性が皆亡くなってしまったり出家してしまったりしてしまう、そのような状況の中自身の身の上を悩ましく思うのでした。
 このようなストーリーの中には、紫式部自身の価値観がハッキリと表現されているように思います。
 光源氏最愛の人、紫の上に出家を懇願させる、それが光源氏にとって一番辛いことだと知って書くのですから、並々ならぬ思いがあったのではないでしょうか。
 そしてそこには、当時の紫式部自身でさえ把握していなかったであろう思想が埋め込まれていたのかもしれません。
 忍ぶ恋とは突き詰めればどういうものなのか、そこには果てしなく世界を巡ってきたひとつの思想が見え隠れしています。
 ですがそれはまた、別のお話で……

 最後に『伊勢物語』第六五段について、もう少し踏み込んでみましょう。
 まず、この段の物語設定が、現実と噛み合っていないことが指摘されています。
 在原業平と藤原高子の間には十七歳の歳の差があり、業平の方が随分歳上なのですが、この中では、在原なりける男はかなり若い男と書かれています。この時点で現実と虚構が入り混じっている状態です。
 さらに、どこに左遷されたのかは明記されていないのですが、男は毎晩高子が閉じ込められている蔵の傍で笛を吹きます。近隣の国であったとしても、果たして毎晩通ってくるのは可能だったのでしょうか。
 そして、高子自身が、自分は生きているのか死んでいるのか分からないような状態であると考えているところ、そしてこのような事になったのは全て自分の身から出たことで、男との出来事のせいではないと恨みに思っていないこと。そのような精神状態の中で起こっている出来事だという事です。
 それを思う時、この段の物語の中には、時間にも空間にも距離というものが存在していない気配を感じるのです。そして人にも。
 高子の耳に届いた笛の音と歌声は、いつどこから響いてきたものでしょうか。
 
 どこかの誰かの手によって再び。そしてまた再び奏でられる魔法の笛。

 それはずっと昔々にも、聞いた事のある笛の音であったかもしれません。

 無垢な世界では 永遠に響いているそれを…

 

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