忘れられないお酒、ありますか?
お酒を飲み始めてからどれだけの酒に出会い、杯を空けてきただろう。
学生の時に飲んだ、ただ甘いだけの粗悪な酒も、歳を重ねてやっとオーダーができたビンテージワインも、全ての酒が今の僕を作ってくれている。
どれだけの乾杯をビールで祝ったか、どれだけの種類の酒を飲んできたかは定かではないけれど、一つ鮮明に覚えている酒が僕にはある。
カナディアンクラブ
通称C.C。
なんのことはない、スーパーでも酒屋でも置いてあるウイスキーだ。
たいして高いわけでもなく、特にパンチがある味をしているわけではない。
そんなカナディアンクラブを僕は忘れられない。
これは僕がまだ会社員だった頃の話。
僕は大学を卒業すると共にビール会社の社員になった。
体育会系出身の僕が配属されたのはもちろん営業。
酒屋もスーパーも飲食店も回る、本当にコテコテの営業マンだった。
ピシッとしたネイビーストライプのスーツを着て、颯爽と広告代理店を打ち合わせをするような、入社前に思い描いていたそんな華やかな世界とは縁遠い世界。
真夏でもスーツにネクタイを締め、汗を額にかきながら酒屋やスーパーを周る。周った先では店員と一緒になってビールケースを運び、スーパーの冷蔵庫に並んでいる商品の補充だって手伝う。
会社員になるからと奮発して買ったスーツは埃と汗で汚れ、一体自分がビール会社なのか酒屋なのかわからないような生活ぶりだった。
僕の会社員生活は、そんなところから始まった。
ビール会社の新入社員というのは丁稚奉公のようなものだ。
就業時間内は自分の得意先を周り、夜は先輩の得意先の飲食店を先輩にお供して何軒も渡り歩く。夜の仕事が終わる時間は、先輩が飲み疲れるか自分が飲み潰れるまで。
その日は自分より30歳も年上の、いわば大先輩のお供として埼玉県の田舎の飲み屋をまわっていた。
焼き鳥屋から始まって大衆居酒屋をを数軒ハシゴし、最後は酒屋の社長と一緒になってスナックへと行く。
そんな先輩お決まりのルートを巡り、ふと時計を見るとすでに夜中の2時を回っていた。
(あぁもうこんな時間か、今日も全然寝れないな。)
先輩はだいぶ酒が回って上機嫌。きっと解散まではあと1時間はかかるだろう。
僕が思いつめた顔をしていたのか、スナックのママが手際よく水割りを作ってグラスを僕に渡してきた。
「全く新入社員がそんな顔して。先輩はだいぶご機嫌だからねぇ。まぁこれ飲んであと少し頑張んな!」
(そんなこと言うんならば、酒じゃなくて水をくれればいいのに。)
たとえそんなことを思っても、絶対に口にはできない。
「すいません、ありがとうございます。頂きます。」
御礼を言って、そのグラスを口につけて一口飲んでみる。
「あ、薄い」
それまで飲んできたような自社の山崎や白州といったジャパニーズウイスキーと違い、そのウイスキーはもっと薄くさらりとした味わいだった。
「あの、これなんのウイスキーですか?」
「これかい?カナディアンクラブだよ。あんたはまだ山崎とか白州とか飲まなくていいの。あっさりして今の時間には丁度いいでしょ?」
「......カナディアンクラブっていうんですね。」
ウイスキーでもこんな淡白なものがあるのかと、正直驚いた。その酒を売っている張本人なのに、恥ずかしい話でそれぞれの味をまだまだわかっていない。
結局それからカナディアンクラブの水割りを2回おかわりし、その日はようやく解散となった。
それから数日後、別の先輩のお供としてその日はバーを訪れていた。
「太郎、何飲む?ウイスキーでいいか?」
「はい、お任せします。」
「マスター、じゃあC.C水割り二つで」
あ、この前飲んだスナックで飲んだウイスキーだと思い、ちょっと自分の中でテンションがあがる。
「はい、C.Cの水割りです」
僕の前に置かれたグラスは、なんだかこの前みたものよりももっと濃い色をしている気がした。
そのグラスに口をつけてみる。
「あ、なんか濃い。」
この前飲んだものよりも、もっと濃くて苦みが強い感じがした。
「先輩、カナディアンクラブってもっと薄い味じゃなかったでしたっけ?」
「は?お前何言ってんだ、これが普通だろう。」
「え、あ、そうなんですか。すいません。」
そのバーで飲んだカナディアンクラブこそ、本来の味だったようだ。
数日前のあの晩、きっとスナックのママが辛そうにしている僕に気を使い、わざと薄くして作ってくれていたんだろう。
「まだまだ未熟者だな、情けない」
あれから何年もの時間が経ったけど、今もまだカナディアンクラブを見ると未熟者だったあの時の自分を思い出す。あのスナックへ足を運んだら、きっと同じ味の水割りがでてくるのかもしれない。
あなたには、忘れられないお酒、ありますか?