「月並」と「類想」にあらがう

 「俳句は元々月並だった」、「俳句は八割ぐらいが類想」という俳人がいる。たしかに俳諧史や各種の俳誌を見る限り、その通りだと思う。だが、私は現状の安易な肯定はしたくない。「月並」にあらがい、「類想」ではない残り二割を目指すのが、「文学」としての俳句である。

 年配者の「お話し会」に等しい句会や「点取ゲーム」の延長のインターネット句会に対しても、私は安易に肯定したくない(このような句会では、句の問題点の指摘が不十分だからである)。

 昨今、特定の結社への勧誘目的で、指導や選句を甘くして、初学者や若年者を句会に囲い込む風潮が顕著なようだ。このことは、「俳句の質」に確実に悪影響を与えていると思う。

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