他人に合わせて自分を終わらせてはいけない

小学生か中学生の頃に「ちえちゃん」という
今で言ううつ病の女の子と友達のようなものだったことがある。

友達というのは語弊かもしれない。
その当時、私は「お互いにかわいそうな境遇」ということで、
優越感と親近感を持っていた。エリートの集いのようなものだと思っていた。

ちえちゃんはお父さんがわいせつ行為で逮捕され、離婚し、
母親と二人で住んでいた。
私は小学生3年生から4年生に上がる頃に母親が病気で亡くなった。
お互いに片親だった。
今考えれば全く境遇は違う。それでも当時は思考の幼稚さから同じだと思っていた。

ちえちゃんに関することで印象的なのは、
「泣くときにバスタオルを使うといいよ」と言っていたことと、
ちえちゃんの家にあった「ダンスダンスレボリューション(DDR)」だった。

私は「傷を舐めあうため」「DDRをするため」「自分はいい人間だから」ちえちゃんの家に何度か行った。
私はちえちゃんに「泣くときにバスタオルを使うといいよ」と言われた時にドン引きしていた。
当時私の中で「親がいない」ことは「とても特別なこと」で、私たちは特別なことを共有する「すごい人」「みんなと少し違う人」だと思って、何もわからない幼稚な私はどこか優越感を感じていた。
学校の先生が「お父さん、お母さんに聞いてみましょう…ああ、〇〇さん、ごめんなさい」と言われて、幼稚な自分は「あ、特別でごめんねえ!私は強くてえらい子だから何も気にしないよ!」と心の中で優越感と喜びを感じていた。

「母親がいない」ことで、私はちやほやされてしまった。
私は好意で呼ばれた近所のおばさんの宗教関係の集まりでも人気者だった。
幼い考えの自分には「天性の才能」のような認識になってしまっていた。

ちえちゃんとはいつの間にか疎遠になっていた。
私はちえちゃんが苦手になっていた。いつも自分の辛い気持ちを聞かされ、うんざりしていた。
幸い当時の私は「消えたい」などの気持ちがわからなかった。
それは、当時は「わたしはめげずにえらい、すごい人間だから」だと心から思っていた。

中学校になって父親が再婚し、継母とうまくいかず、初めて「こんなに辛い気持ちがずっと続くのであれば死にたい」と思った。
カミソリを腕にあてたけれど、怖くて切れなかった。
その頃の気持ちを考えると、これはただ一重に「とても痛いのが怖い」からで、痛覚や血の赤色は偉大だと思う。
人生のリセットボタンがあるのであれば、押していたと思う。

おかげ様で私の腕は傷ひとつなくとても綺麗だ。

現在はあくまでも反対派、楽しく生きることだけでいい派だけれども、
その経験から「リストカットできる人はすごい」という感覚も私の中にできてしまった。
その『「すごいこと」ができてしまうほど追い詰められている、私の覚悟より重い』という歪んだ認識で。

重ねて、
「リストカットをしながら多くの人に愛されるものすごいアート作品を作るひと」
「非常に魅力的な外見を持ち、夜職をしながら、マイナーな推しに貢ぐひと」
「劣悪な環境にいるにもかかわらずものすごい作品を描くひと」
とも、割と親密に話をする機会があった。

おかげでマイナスの感情はものすごい作品を作る、ということにも私は未だに否定できずにいる。

それでも、私は、そんな人にも楽しく生きて欲しいと思う。
その傷は、その方の為ではなく、誰かにとって必要だったかもしれない。
誰かに訴えるために必要だったかもしれない。
自分への見せしめとして必要だったかもしれない。
何かを証明するために必要だったかもしれない。

それがその人の楽しいこと、喜びなのであれば、否定はできない。
明日以降楽しいことができる確率が絶対に0%だっていうなら、その方が楽かもしれない。
マンガの続きを読むとか、推しの配信があるとか、そういう大事なことがあるなら、楽しく生きてほしい。偽善でも。







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