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虚を実に反転させた市ヶ谷という舞台装置

それまでの私の三島由紀夫に対するイメージは「何でも大げさに表現するカッコつけた作家」だった。

あの独特の修飾的な文章や、自衛隊の市ヶ谷駐屯地で切腹するという最期から来たイメージだったと思う。
有名な『仮面の告白』を最後まで読んだ時も「はあ……そうですか(大変ですね)」という感じだった。

20代後半のある時期、私は大きな失恋をした。
今から振り返れば、どうってことはないと思えるが、当時の私にとっては、それこそ生死に関わるような大事件だった。

その頃、友人に「持っていた本を処分するので見にこないか」と誘われた。
彼女の家に行くと、三島由紀夫の新潮文庫がほとんど全部揃っていた。

無気力で他にやることもないので、これを機に三島由紀夫でも読むかと思い、私はその大量の文庫本を譲り受けた。

友人に「『豊饒の海』は面白いよ。読んだ方がいいよ」と勧められたこともあり、私はいきなり『春の雪』から読み始めた。

それまで大して好きでもなかったのに、いきなりあの長い4部作の1作目から読み始めるあたり、当時の私の自暴自棄ぶりがよくわかる。

そして、ハマった。

お風呂に入りながら読んでいて、あまりの面白さに鳥肌が立ち、湯船の中でガタガタ震えるぐらい感動した。

映画化もされた『春の雪』、そして『奔馬』『暁の寺』、遺作となった『天人五衰』まで一気に読んだ。


何にそんなに感動したのか?


『豊饒の海』を読んだ私には、人生とはすべて演劇のようなものだという三島由紀夫の世界観が、深く刺さったのである。

この世界は単なる舞台装置で、登場人物である我々は、時に悲劇の中にあり、時に喜劇の中に生きている。

でも、それも幕が降りればすべては終わる。

輪廻転生という仕掛けのある、この『豊饒の海』でさえ、すべてが終わる瞬間はやってくる。

だから、三島由紀夫はああいう方法で自殺したのか、と私は初めて納得した。

「生まれた時の記憶がある」三島由紀夫にとって、いつ訪れるかわからない死とは苦痛以外の何物でもなかったのだろう。

だからこそ、自分が一番お気に入りの舞台を完璧に創り上げて、その中で死ぬことに決めたのだろう。

それが世界的作家として数多の物語を紡ぎ出してきた三島由紀夫の矜持だったのか、と。

『天人五衰』のラストまで読んで、私はそう解釈した。

そして、その虚無主義的な諦念が、世紀の大失恋をした(と思っている)ばかりの自分にぴったりフィットしたのである。

なるほど、すべてこの世は舞台装置に過ぎず、最後は「記憶もなければ何もないところ」が待っているばかりなのだ、と。

それからは貪るように三島由紀夫を読みまくり、読み漁り、遂には全集まで手に入れてしまった。

虚無主義を抱えながら生きた三島由紀夫は、だからこそ生の一瞬にこの上ない美を感じ、今この時しか存在しないものを偏執的に追い続けた人でもあった。

そうとわかってからは、彼が何を美しいと思い、何に永遠を感じ、何を渇望していたのかを、作品を通して追体験していった。
それは素晴らしい経験だった。

おそらくは随筆も含めて、ほとんどすべての作品を読んでいる私が、一作だけ選ぶとすれば、迷いに迷って

『三熊野詣』

を選ぶ。

折口信夫をモデルにしたと言われている短編だが、これはどこからどう見ても三島由紀夫の話である。
というか、三島由紀夫の創作の秘密が語られている。

ずっと、自分は「仮面」の告白をしてきたという後ろめたさのあった三島由紀夫が「香代子」は本当にいたんだ!と証明してみせたのが、あの市ヶ谷駐屯地での切腹なのだろう。

彼の中の平岡公威(三島由紀夫の本名)はさぞかし恐ろしかっただろう、と思わずにはいられない。

だが、三島由紀夫という仮面と平岡公威の素顔は、既に分けがたく一体となり、「肉づきの仮面」となっていたのだろう。三島由紀夫の「脚本」に引きずられるように、平岡公威の「肉体」は死んでいった。

享年45。

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