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Vtuberだけどうちの保護猫の話をする

てのひらサイズの子猫

本当に何の気になしにネットサーフィン(もはや死語である)をしていた時、たまたま保護猫の掲示板を見た。※掲示板て何? という方が多いと思うけれど、当時は2ちゃんねるを代表とするほぼタイトルとコメント欄のみ存在するような『掲示板』でのやりとりが中心だったのだ。
↑このようなフォント弄りなども多かった

初めてその子の写真を見た時、何かいままで感じたことのない感情に打ち震えた。産まれてどのぐらいだったのだろう、500gほどのその小さな体躯に大きな瞳。ふわふわの毛、明らかに栄養が足りていなさそうな細さ、かわいいだけとは違う。何だろう、この子がいたらどんなに幸せだろうか、この小さな命がここに在ったら。私はそれまで生き物といえばカタツムリぐらいしか飼ったことがなかったのに突然猫を飼いたいと言い出した。家族もびっくりだ。

その子は某高級住宅街のお宅に住む老夫婦が兄猫とともに保護したらしく、家族がやりとりしたお相手は老夫婦の息子さんだった(娘さんだったかもしれない)。猫を飼うのは初めてだったし、当時私の家庭環境はあまり良いと言えなかったのでおそらく今だったら審査で落ちていたと思う。それでも快く送り出してくれた。今思うと兄猫とともに引き取ればよかったなあと思うけれど、当時もたしか数日前に近所の方に兄猫だけ引き取られたと聞いたのでどちらにしてもだめだったかもしれない。

その子は本当に小さく、いわゆる『末っ子ちゃん』だったのだと思う。兄猫に比べだいぶ小さい姿の写真を覚えている。んだけど、最近発掘したらあまり大きさに違いがなくどちらがうちの子なのか一瞬見分けがつかなかった。イメージとは恐ろしいもの。

うちに来た当日にトイレを覚え、ご飯も食べた。
けれど食が細くて猫用ミルクでカリカリをふやかしてあげていた。ずいぶん甘やかしたと思う。初めての小さな命に日々感動していた。

様子がおかしいと思ったのは最初の一ヶ月頃だった。食が細いだけでなく、吐くことも多かったのだ。
ねこは吐くものではあるけれど、頻度が異常だった。

病院につれていくと、先天的に腎臓が片方小さく、あまり大きくならないだろうと言われた。

大きくならない。それは物理的に大きく育たないという意味でもあった。けれども長く生きないという意味でもあり、私はそのことをなかなか受け入れられなかった。
身体は小さいけれど、とても気の強い子だった。ねずみのおもちゃをあげると威嚇しながら咥えて走り、鬼の形相で襲いかかっていた。
好奇心も強い。
こんなに元気で賢くて甘えん坊な子が、そんな運命でいいのだろうか。
「何かこの子のためにできることはないですか?」
私が人目を憚らず泣きじゃくるのを見かねたのか、家族が聞いた。それはすでに子猫を心の支えをしていた私のことを指していたのかもしれない。

病院通いの日々

出来ることはあった。ほぼ毎日点滴に連れて行くことだった。今思うと頑張っていたのは私の家族だったのだと思うけれど、私もせっせと子猫をいれたキャリーを運んでいた。
キャリーに入るのも全身を伸ばしてものすごく嫌がるが、根気強く掴んでは突っ込んでいた。最後はしぶしぶキャリーに入るようになった。

小さな命は少しずつ大きくなり、やがて3kgをこえた。2kgぐらいだろうと言われていた子はずいぶんと成長し、元気に気の強い猫になっていた。私が寝ると掛け布団の上で走り回り、夜泣きが多かった。どこにでもついてくるし、何をしても邪魔してきた。常に私のことを視界に入れ、どう見ても愛着障害だった。
母猫とはやく離されたせいだろうかとか、もう少し兄猫と過ごす時間が長いほうが良かったのだろうかとか、今なら考える。
現在では保護猫団体のもと、最初の数ヵ月は母猫や兄弟猫、あるいは他の保護された猫と共に過ごし社会性を育んでから譲渡される事が多いという。

子猫を保護した老夫婦との葉書のやりとりはしばらく続いたが、私と子猫の成長とともにいつしか途絶えていた。

共に歩んだ日々

進学、就職、引っ越し。私にとって、その子は人生の大半を共に過ごした子だった。親と過ごした時間より長いかもしれない時間を、会話をしたかもしれない。よく喋る子だった。黒猫はお喋りだという話も聞く。

腎臓の問題はずっと続いた。それでもフードと定期的な通院だけで済むようになっていた。調子が気になるようになったのは、子猫が17歳をこえた頃だ。

少しずつ、少しずつ。本当に少しずつ、弱っていった。だんだん高い場所に登らなくなり、遊ぶことが減った。更に甘えるようになり、よく眠るようになった。
トイレの砂に血が混じっている事に気づいたのは、その頃だった。

慌てて動物病院に連れて行った。膀胱炎だろう、と言われる。トイレに行くたびに苦しそうに鳴く姿が痛ましかった。薬を飲ませ、様子を見る日々。膀胱炎そのものは改善したものの、体調は戻らなかった。

薬が増え、また少しずつ弱っていた。あと一ヶ月ぐらいだろう。とうとうそう言われる日が来た。
「この子のために何か、出来ることはないですか」
私はあの日と同じことを聞いた。
出来ることは、あった。毎日毎日。あの頃連れて行ってやっていた輸液を、自分の手ですることだった。
もはや分身とも言ってもいい猫に針を刺し、数十分寄り添いながら輸液が入っていくのを待った。痛がるのをあやし、なだめ、声をかけ撫で続けた。ごめんね、痛いよね、ごめんね、と。

しばらくは調子が良さそうにしていても、しばらくすると不機嫌そうにしていた。苦しいのだろう。
普段の定位置だったソファの上から、私のベッドの足元にいることが多くなった。

やがて、歩けなくる。トイレのときだけ必死に動こうとするのが、生命の凄さとプライドを感じた。わがままでどこか気高い雰囲気を持ったこの子のことをよく『女王様』と揶揄していたが、最後まで歩こうとし、食べようとした。そういえば食い意地がはっていた。

あげた覚えがないのにパンが好きだった。捨てるはずのピザの耳をこっそりかじって叱られていたし、半斤の食パンの袋を袋ごとくわえて引きずっていた姿を見た朝のことは忘れないだろう。

あと一ヶ月と言われてから、半年が経っていた。

保護猫と私

やがて虹の橋を渡ることになるのだが、この子の話はここまでにしようと思う。19年と少しの命だったこの子は、思ったよりも大きく成長し、誰もが驚くほど長く生きた。幸せだったと思いたい。

初めての猫を亡くしてから一年後、私はある日知人の紹介で見るだけでも、と保護猫会に足を運んだ。
黒猫の姿を見るだけで心が痛む。家の中で黒い塊を見るだけで猫に見える。そんな日々を送っていたことをずいぶんと周囲が心配していたことを知ったのはだいぶ後のことだった。

一番人気の子を抱き、扱いを褒められた。
なぜかその時にはすでに新しい子を迎える気になっていた。目の前に猫がいたらだめなのかもしれない、いや、いないとだめなのかもしれない。

「黒猫以外で……」

希望の子を書くヒヤリングシートで、縁があればどの子でもいいと伝えたあと、そう補足した。
黒猫は正直、外見がよく似ている子が多く存在する。しっかりと見れば全く顔立ちも表情も何もかも違うのだけど、パッと見似ているのはしんどいかなと思った。

「ハチワレは大丈夫ですか?」

ハチワレ。一番人気の子を抱っこしながら他の猫を見ていた時、視界にいたのを覚えていた。すやすやと眠ったり遊んだりしている兄弟猫の塊の中で、すくっと立ってまっすぐこちらを見ていた子だ。
眼病なのか片目がちゃんと開いていなく、あまり人気が無いがちゃんと治りますから、と言われた。ハチワレはとてもスムーズにトライアルになることに決まり、私もあまり実感がわかないまま、すでにあの子が『これ以上育たない』と言われた2kgぐらいの姿で我が家に現れた。……子猫にしてはでかい?

後から少し後悔した。ハチワレちゃん、後ろ姿がすごく黒猫なのだ。
(でも巨大に成長したので、それは本当に短い期間だった)

問題はもう一つあった。

話がとっちらかってしまうけれど、黒猫が成長する間にもう一匹家の前の側溝で行き倒れてていたドジっ子猫を保護している。模様がベースが白でところどころ黒と縞模様なので三毛のようで三毛とも言い切れず、これは一体何猫なのかいつも呼称に困っている。
この子はあまりにも臆病かつ家族の部屋を巣にしていて下手するとほとんど顔を見せてくれないが、ご飯の時だけ私に撫でられながら食べるのが好きだ。日向ぼっこ大好きなのに日光アレルギーという大きな矛盾を抱えている。

この先住猫との相性が問題だった。ただ黒猫との相性は最悪というか黒猫が一方的に二倍近い白猫を威嚇しまくっていたので、生活環境を完全に分けることで解決していたが、果たして……。

意外なことに、トライアル中、白猫はあまりハチワレを怖がることもなければ怒ることもなかった。近づいてくると威嚇したが、だいたいハチワレのことを観察している。恐れを知らないハチワレとおいかけっこするぐらいになった。喧嘩しているのかと思ったが、微妙な距離で一緒に寝ていることもあるのでそこまで仲が悪いわけではなさそうだ。

いまのところ通算3匹、(自ら保護した子も含め)様々な形で保護された猫が我が家にいることになる。どの子も全く違う性格と姿をしていて、日々様々な刺激と学び、癒やしを与えてくれている。

最後に

天に昇った黒猫は、ハチワレのことも威嚇しているのだろうか。
私が体調を崩すとスフィンクスのように見守っていた姿を思い出す。

今、定位置だったソファの上にハチワレが居る。ハチワレが寝る時は、ペットシーツとタオルとともに黒猫が最後の日々を過ごした私の足元だ。
単純に猫が過ごしやすい場所なのかもしれない。習性かもしれない。
そう思いつつも、なんとなく黒猫がハチワレを受け入れてくれているような気がしている日々だ。

※イラストは私のリクエストにより、黒猫と白猫とハチワレを添えていただいています。うぶ様ほんとうにありがとうございました。

#うちの保護いぬ保護ねこ


本文と1mmも関係ないようで関係あるのですが、黒猫との闘病生活で睡眠障害になり、現在黒猫をモデルに睡眠導入とゲームが中心のVtuberをやっています。今思うとだいぶ病んでるなって。

鈴之枝みなTwitter


ペットロスのストレスがきっかけで胃潰瘍と椎間板ヘルニアになってコロナ禍が重なり一時的にガチめの無職になったのですが無事社畜に戻りました、が土日が休めなくなったら転職します。でも前回の転職先探しは別の業種を選ばざるを得ず本当に大変だったのでできればもう頑張りたくありません。

ということで転職する方はプロと相談しよう!!

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