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写真を撮る目的ってなんでしょうか

 写真を撮る目的ってなんでしょうか。

 私はもっぱら記憶の助けとするために写真を撮ります。あのとき行った場所,食べた料理,見つけた文字。脳の記憶はどこか頼りないものです。それに対して,写真の記録というのは劣化しづらく,信頼できるものだという印象を受けます。

 情報を固定してくれるんだ,という写真の機能的な側面を,私は見ているのだと思います。

 逆に,私はひとに見せるため,あるいは魅せるための写真をあまり撮らないということになります。ですから,そういう写真の表現的な側面を見ているひとに憧れる部分があります。

 写真撮影という行為は,客観的に記述すると,外界のいち場面を静止画として切り取る作業なのだと思います。

 一見すると,外界の空間と時間の流れが瞬く間に平面にピン留めされることによって,情報の次元が下がっているように思えます。

 しかし実際にはそんなことは全くなく,むしろ一部においては情報が増大されるというのが,写真の不思議なところです。

 写真が切り取ったひとコマに,撮影者の心的な動きや思考が取り込まれており,鑑賞者がそれを見てまた色々と思う。この過程の中で,写真の画面以上の情報が行き来しているように思うのです。

 これが表現としての写真だと思います。もちろん誰に見せるわけでもなく,純粋に好きだから写真を撮るひともいると思います。でもこれも「好き」の自己表現なのだと思います。

 現代においては誰もがカメラマンになれる。

 誰かがそんなことを言っていました。多くのひとがカメラ機能のついた携帯電話,スマートフォンを持ち歩く時代です。

 この世界のみんながもっている写真をかき集めて,ギュッとひとつにしたらどんな世界ができあがるのでしょうか。そこには撮影者の心情が欠落した無機質な現実が残るのでしょうか。

 私はそうは思いません。嬉しいことも悲しいことも全部ひっくるめた,とっても情緒のある豊かな世界が広がっているんじゃないかな~と思うのです。

 私は写真論や表象文化論の専門家ではないので,よくわからないんですけどね。誰かに見せたくなるような写真を撮れるように,世界に対してアンテナを張っておきたいと思います。

 ではまた宇宙のどこかでお会いできれば。


サムネイル見出しのフォント:紙モノゴシック B(制作途中)

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