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哲学的パネルでポン番外編 -なぜこんな攻めたタイトルに?-

おはようございます、こんにちは、こんばんは、鈴見です。

今までパネポンを題材にし、少しずつ文章化してきました。
ですが、「なぜ哲学とパネポンを組み合わせようと思ったのか?」というところについては、何も話をしてきませんでした。
と言いますか、「そもそも鈴見とかいう奴の中で、哲学ってどういう位置づけなのよ?」ということを全く説明せずに書き始めてしまいました。

といったことで、誰が興味を持つかは正直分かりませんが、今回は私の哲学観や色々な経緯について触れたいと思います。
そんななので、自分語りがとても多いです。
そして、パネポンの話はほとんど無いです。

注意書きを1つしておきますと、現在存在しているパネポンの解説などに対する批判などが少々含まれます。
ご了承ください。


そもそも哲学って?

哲学と言うと、正直なところ『面倒臭そう』『胡散臭そう』といった印象はないでしょうか?
臭そうと言われるぐらいなので、臭い物に蓋をされるような、そんな学問ではないかと思います。
そして、私もそういった印象を持っていないことはないですし、何なら哲学の専門的知識はほとんどありません。

強いて言うなら、東洋哲学だけは独学で少し学んでいます。
NARUTOに登場する日向ネジの技に、八卦六十四掌というものがありますが、その元ネタになってるものです。
当たるも八卦、当たらぬも八卦、の八卦に関する学問です。

少し話が逸れましたが、とにもかくにも哲学のことについては正直よく分かりません。
ですが、1つ言えるのは『哲学は自分の人生が変わっちゃった学問』です。
詳細は省略しますが、人生でそういう経験があったんだね~という感じで大丈夫です。
といったことで、哲学は自分の中で大きなパワーを持った考え方や位置づけになっています。

哲学はどういう学問だと思ってるの?

哲学とは、原理追究をする学問だ、などと一般的には言われています。
議題としてよく出されるのは、「なぜ人は幸せを求めるの?」「トロッコ問題は何が正解か?」といったところでしょうか。
答えの無いものを求めていくような、そんな学問だと思っています。

それはそれとして、鈴見にとっての哲学とは何?と聞かれると、ぶっちゃけハッキリとは答えられません。
ですが、ざっくりと羅列していくならば…

・あらゆる視点を持つ学問
・なぜ?を追求する学問
・諦めの学問
・心を守る学問
・道理を知る学問
・可能性を否定しない学問

大まかに挙げれば、こんな感じです。
長くなりますが、なるべく簡潔に理由もつけておきます。

・あらゆる視点を持つ学問
例えば「なぜ幸せを求めるのか?」という議題が出されたときに、「幸せを求めたいから求めるんだ!それが当然だろ!」というのも1つの答えかも知れません。
ですが、正直に言ってしまえば、理由づけがあまりにも足りていません。
それと同時に、幸せというものだけに注目して考えても、幸せというものが抽象的過ぎるので、考えが行き詰まります。
そこで、「具体的に何が幸せか?」「どうすれば幸せか?」などと、外堀を埋めていくような考え方をします。
外堀を埋めるためには、あらゆる事象や視点から理由を持って来なければなりません。
行為を見れば、あらゆる視点を持つ学問、と言えると思います。

・なぜ?を追求する学問
「なぜ幸せを求めるのか?」「なぜ人は生きるのか?」など、「なぜ?」と思うことは世の中にたくさんあると思います。
これらの「なぜ?」を考える上で、「なぜ幸せという概念が存在するのか?」「生きるとはそもそも何だ?」など、1歩進むたびに疑問が生まれます。
いちいち止まることに嫌気が差してしまうかも知れませんが、1歩進んでは止まることが最早哲学である、と言えると思います。

・諦めの学問
「なぜ?」を追求していくと、ある時から「これはこういうもんだね」と思うようになります。
どんなに悪いことが起きようとも、どんなに良いことが起きようとも、「これはこういうもんだ」となります。
そういう意味で、諦めの学問だと思います。

・心を守る学問
哲学が諦めの学問だと思っている理由に近いですが、「これはこういうもんだ」と思えるようになれば、悪いことが起こっても多少受け入れられるようになります。
悪いことが起こって心が壊れてしまえば、一朝一夕には修復するのは難しいです。
だからこそ、心を壊さないために事前準備をしておかなければなりません。
「これはこういうもんだ。だから起こってしまったことは仕方ない。切り替えて次に行こう」とするための学問、であると思います。

・道理を知る学問
ここで言う道理とは、『筋が通っていること』という意味を指しています。
「これはこういうもんだ」と思うためには「なぜ?」の解決が必要です。
「なぜ?」を検証し、ちゃんと解決されれば、それは少なくともこの世界においては、そこまで不自然な答えではない、ということも言えると思います。
不自然な答えではないということは、これは筋が通っており、道理に適っている、ということです。
つまり、結果的に道理を知ることになります。

・可能性を否定しない学問
道理を知る学問であると言いましたが、道理に適っているからと言って、その道理を全肯定するものではありません。
あらゆるものがある以上、あらゆる可能性がこの世界には存在していると思います。
あらゆる可能性を考えたとき、「そんなことは有り得ない!」と否定してしまえば、それはただの屁理屈になりかねません。
屁理屈にならないためにも、道理を全肯定しないこと、可能性を否定しないことが、哲学の道だと思います。
(京都にある哲学の道、とても良いところでした)

鈴見の中の哲学とは、ハッキリとこう!とは言えませんが、大体こういったものです。

哲学×パネポンが面白いと思った理由

では、なぜ哲学とパネポンを組み合わせようと思ったかと言えば、『パネポンも自分の人生が変わっちゃったゲーム』だからです。
つまり、哲学とパネポンには、少なくとも自分の中では共通点がありました。
「共通点があるからって組み合わせようとするものなの?」と思われるかも知れません。
この疑問についての回答は、至極単純なものです。
それは、「美味いもんと美味いもん合わせたら、もっと美味いでしょ!!!!!!!」と思ったからです。
…とまぁ、少々頭の悪い考えかも知れませんが、これが理由です。
醤油ラーメンうめぇ!
豚骨ラーメンうめぇ!
じゃぁ醤油と豚骨を合わせても美味いやろ!理論です。(理論…?)

哲学とパネポンを組み合わせた結果、自分の中でも腑に落ちなかった部分の解決や、分かっているけど言語化できなかった部分を言語化することに成功しました。
なので、自己満足ではありますが、結果的にはとても良い組み合わせだったのではないかと思います。

現在存在するパネポン解説に対する疑問

少々話題を変えまして、ここからは不快に思われる方もいるかも知れないことに触れます。
見出しとしてはパネポンに限っていますが、あらゆる解説に対する批判にもなり得ます。
そして、自分に対する反省や戒めでもあります。


ネット上に存在するパネポンの解説の全てに目を通している訳ではない、という断りを入れておきます。

今まで、解説などを見ては、個人的にずっとモヤモヤとしていることがありました。
しかし、何に対してモヤモヤしているのか、ずっと分かりませんでした。
ところが、自分が哲学的パネルでポンを書いているときに、モヤモヤの正体に突然気付きました。

「あ、私が見てきた・書いてきた解説は、やっていることを説明しているだけだわ」

確かに、やっていることの説明でも解説です。
が、人が分かる解説か?と問われれば、少し疑問です。
そして、人が分かる解説をしようとしたときには、それはほぼ間違いなく短時間では済まないことも承知の上です。
その上で、分かる解説がネット上に置かれているのか?と言われれば、恐らくほとんど無いと思います。

じゃぁ人が分かる解説ってどういうものなのよ?という話ですが、1つの回答として『見聞きした人自身が、自分で試行錯誤できるようになれるもの』だと思っています。

現在散見される解説は『何となく仕組みが分かるもの』といった位置づけがされているのではないかと、個人的には感じます。
勿論、それも重要です。
仕組みが分からなければ、どうすれば良いか分かりません。
しかし、仕組みが分かったところで、どうすれば良いのか分からない場合も、少なくとも私の場合は多々あります。
それは鈴見とかいう奴の理解力がただ低いだけ、とか、ちゃんとその解説を読むことができていないのでは、などの原因が考えられます。
反面、少なからずこういった人間がいる以上、もう少し解説として深掘りしていくのも良いのではないか?とも思ってしまったのです。
深掘りした結果、理解力のある人に対しても、別の視点での考え方を提示できれば、何かしらの議論や新規の疑問が浮かぶことがあるかも知れない、という可能性に繋がります。

switchでパネポンが遊べるようになり、多くの人がパネポンに触れることが可能な環境が今あります。
そして、私自身、パネルでポンというゲームはかなり面白いと感じているので、ここに面白いゲームあるよ~!という心の叫びもあります。
ですが、パネポンにはパズルのテンプレートは一応あるものの、他のパズルゲームの違い、テンプレートを適用させる機会は多くないと思います。(自信は無い)

今までの記事にも書いてきましたが、パネポンはとにかく敷居が高いです。
そこで、自分自身で試行錯誤できるような考え方があれば、テンプレートが無くとも、自分でテンプレートを生み出せるようになるのではないか、という方向性にもできます。
公式が思い出せないなら、自分で公式を作っちゃえば、導いちゃえば良いじゃない!みたいなイメージです。
加えて、きっと上級者もパネポン上手くなりたい!という気持ちを持っていると思います。
でも、どうすれば上手くなれるのか分からない人もいると思います。
かく言う私がそうです。
なので、その状況を打開するためにも書いているところがあります。
勿論、これらはかなり理想論です。

そして、少なくとも今私の書いているものに関しては、上級者向けなところがかなり強いので、初心者向けの記事も書かなきゃ駄目だよね…と反省しているところでもあります。
ですが、実際問題、初心者向けで哲学と絡めるのは滅茶苦茶難しいです。
そして、「それに初心者がついて来れるのか?」と言われたら、恐らく無理なので、しばらくは上級者向け記事になるとは思います。
少し考え方を変えれば、直接的に初心者の人のためになる道を選ぶのではなく、上級者から初心者に間接的に伝わる・伝えるようなトップダウン的な道を採用していくのが良いのかな、とも思っています。

因みに、これは完全に自分の想いなのですが、初心者の方からの意見はかなり欲しいです。
と言うのは、偏見ではありますが、物事に慣れている上級者は割と基本的なことを忘れがちです。
初心者の方が何が分からないのか分からなくなってることもあります。
そこで「これってどういう考え方をすれば良いの?」という意見があれば、ハッとすることや、こういう考え方もできるね!という発見に繋がります。
要するに、ボトムアップ方式も良いな~~~っていう欲です。

だいぶ余談になってしまいましたね。

可能性の模索

これまで、『パネポンにおける速度とは?』『なぜ難しいのか?』という疑問についての記事をアップしてきました。
その中で、「パッと見はパネポンと全く関係無いね?」という話題をピックアップしていました。
これは、
"あらゆる視点から物事を見るということを実践したかった"
"やり方を説明するだけの解説にしたくなかった"
という2つの理由があります。

ここ数年、自分が哲学を独学で勉強している中で、「あ、自分って考え方がかなり偏ってるな」と痛感していました。
これは考えの方向性が偏ってるという意味は弱く、視点が偏ってる、一方向からしか見ていない、という意味での偏りです。
偏りに気付き、これではいけない、と思ったものの、なかなかそれを修正する機会を得られませんでした。
そこでふと、自分の得意なものに関連づければ良いんじゃないか?と思ったとき、当然と言うべきか、パネポンになりました。
そして、解説するものと直接的に関係の無いことから見れば、『見聞きした人自身が、自分で試行錯誤できるようになれるもの』も目指せるのではないか?とも直感的に感じました。

ただ、本当に自分が目指している方向なのか?と自問自答すると、正直自信は無く、この方向性で良いのか?と疑問に感じるところがあります。
それは、「間接的なところの話をするのは良いが、それで少しでもパネポンに対する理解まで持って行けるのか…?」という疑念が晴れないからです。

疑念があるのは、間接的な方向性が賭けに近いところがあるからだと思います。

直接的な部分の話をしていけば、ある意味ではハズレがありません。
例えるならば、100円の商品に対して100円を出せば、100円の商品を手に入れられるのと同じ感覚です。
しかし、間接的な部分を話していくとなると、100円の商品に対して100円を出しても、0円の商品を手に入れることになるかも知れないし、200円の商品を手に入れることになるかも知れません。
要するに、当たり前かも知れませんが、価値が聞き手によってかなり左右されます。
そして、書き手側にとっては、なるべく100円から200円の間を目指したいところです。
そうは言っても、こういった文章化は自己満足のための趣味部分も強いです。
なので、自分にとっては200円を目指しつつも、相手にとっては0円でも仕方ないね、と思っているところもあります。
特に趣味に関しては、そうでなければ続かないので!

おわりに

最後の方は延々と余談的に書いてきてしまいました。

まとめると、色々なことが重なって、哲学×パネポンをやってみよう!となりました。
現代風に言えば、哲学も推しだし、パネポンも推しなので、推し活です。
推し推しで、よしよししたいだけです。(?)

そんな欲望から生まれた言葉たちであっても、自分自身の気付きは勿論、どなたかの気付きや考え方の手助けができれば、それはもう最高な話です。
文章が長くなってしまったり、自分自身でも書いていて難しいと感じることが多々あるため、とてつもない遅筆ではあります。
しかし、それでもページを開いてくださる方がいらっしゃるので、感謝しかありません。

これからも自分の中で「この話題は面白いな」と感じたことがあれば、何とか文章化していきたい、という気持ちです。

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