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死ぬまでに答えを得たい問いがある

『その答えを求め続けると
気のふれる問いがある

自分は何故ここにいるのか

何処よりきたりて
何処へ向かうのか…

実に人はこの問いを忘れる為に人を愛し
この問いから逃れる為に神を求める』

こんな語りから始まる漫画がある。

ジャンルからすれば少女漫画だが、そういったくくりを超越した壮大な物語だ。

舞台は1万年くらい前の世界の果ての島国。

人々は目に見えぬ神々を信奉し、平和に暮らしていた。

部族に代々伝えられてきた、真言告(まことのり)を唱えることで、巨石を動かし、病を癒やし、氣を満たす。

真言告は生活と共にあり、幼少期から誰もが学び、身に付ける生きる術だった。

だがそこに外国から、目に見える神々がやってくる。

目に見える神々は、亜神と威神の2派。

亜神は善を好み、聖を欲し、平和を望む。

対する威神は悪を好み、魔を欲し、破壊を望む。

それぞれに魅入られた信徒を持ち、ある答えを探し求めて戦う。

亜神と威神は、完全なる両極。

善と悪、白と黒、0と100。

だが人の内には、善も悪も、白も黒も、0も100も両方が存在する。

それを認めて生きるのか、否定して生きるのか。

目に見えぬ神々の信徒は、初めて接する血なまぐさい争いに翻弄されながら、両極の存在や思想を知り、受容はするが流されない。

そして第3の道、白と黒とを統合させる道を自ら導き出す。

…これが20年以上前に描かれた少女漫画だとは、にわかには信じがたい。

人が自分の内面にこれほどまでに目を向けるようになったのは、ごく最近のことではないのか?

自分の霊性に気づき、本来の姿を知りたいと切望するようになったのは、ごく最近のことではないのか?

スピリチュアリティや目に見えない世界が大っぴらに語れるようになったのも、ごく最近のことではないのか?

こんなセリフが胸に残った。

『水は流れて水となり、風は吹いて風となる、人はゆらいで人となる』

人はゆらぐ。

信念がぐらついたり、心が惑ったり、不安に脅かされたりするのは、弱いからではない。

それが人だからだ。

どっちもアリ、自分もアリだし、相手もアリ。

絶対的な正義なんて、この世のどこにも存在しない。

…とイティハーサが時を超えて伝えてくれている。


『自分は何故ここにいるのか

何処より来たりて何処へ向かうのか』

気がふれる…と言われても、求めずにはいられない永遠の問い。


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