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わたしは実は性格がわるい

 人ってどのくらい、かくしごとをして生きてるんだろう。二面性って、みんな持ってるんでしょうか。みんな心の中で、わたしは実は〇〇なんだ、って思ってるのかな。あなたは実はなんなんですか? わたしは実は、性格がわるいです。

 わたしのだいすきな友達は、ひとの失敗をみてしめしめと思ったり、自分のほうがすごいと思って心のなかでにやにやしたりは、たぶんしない。でもわたしが「しないでしょう」って言うと、「いやそんなことないよ、するときもあると思うよ、たぶん」とかって言う。それを聞いてわたしは、性格がいいっていうのはこういうひとのことなんだよな、と思う。

 きれいな曲を聴いてなきたくなるとき、その五回に三回くらいは、じぶんの心のきたなさのせいな気がする。こんなわたしがこんなきれいな曲を聴いていいのか、が一回、うつくしい曲のようにいきられない、が一回、それから曲に心を洗われる錯覚で、一回。あの子はどういう気持ちでなきたくなるんだろう。それってわたしにはわからない感覚なのかな。

 だからわたしの書くおはなしに100%のきらきらは宿らない。わたしのすきな曲をつくるひとは、たぶん澄んだ目でせかいをみている。言葉をみればわかるよ。そのせかいを追いかけてきたけれど、永遠にたどりつけないんだって最近ようやくわかりました。だってフィルターがちがうし。一部くもったフィルターでみた世界、すきだと言ってくれる人がたくさんいるのはうれしいけど、透明以上に透明にみえるフィルターで世界をみてみたいとも思うじゃない。

 そもそもさ、性格わるい、ってなんなんだろうね。どんな性格がよくてどんな性格がわるくて、どんな性格が平均値なのかな。みんな心のどこかでわるいこと考えてる? ドラッグストアの外においてある洗剤みてこれその気になれば盗めるよなって思っちゃったり、ふるい友達の不幸にちっとも同情できなかったり、するの? こうやって性格のわるい例を出すときに、ほんとうに最低な例をださずに当たり障りないものを書いちゃうくらいの性格のわるさ、みんな持ってるの? それともそれって普通のこと?

 ここまで読んだきみがいる以上、わたしってとんでもない時間泥棒でしょう。悪いやつなんです。そして厄介なことに、性格わるくないよって肯定されたいきもちと、悪いやつだなって否定されたいきもち、半分ずつもってるへんなやつなんです。前者は安心に、後者は快楽に変身するの、興味深いのでほんとはもっとじっくり観察したい。だけど明日も仕事なので、もう布団にはいります。まとまりのない文章をひとさまに読ませるなんて、最上級に悪いやつだなと思いながらも、わたしはわたしの生活を最優先するのです。

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