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【小説】#29 怪奇探偵 白澤探偵事務所|暗闇に浮かぶ花

あらすじ:終業間際、飛び込みの依頼で外出することになった白澤にある届け物を頼まれた野田。指定された場所に向かうと、その先には――。

\シリーズ1話はこちら/

「野田くん、ちょっと頼まれてくれないかな」
 終業時間の迫る夕暮れ時、白澤さんが上着に袖を通しながら言った。
 今日は珍しく忙しい一日だった。依頼に事務所を訪ねてくるお客様が午前と午後に一件ずつ、飛び込みの面会が一件を済ませ、つい先ほどまで白澤さんは長い長い電話をしていた。
 電話を終えて出かける支度を始めたところで、はたと何かに気付いたという様子だった。恐らく、元々あった予定に何か別の予定が差し込まれてしまったのだろう。
 俺はと言えば、依頼に合わせてあれこれ手配をしていたのがようやく終わったところである。今日やるべきことはすっかり済んでしまっていたので、仕事があと一つくらい増えるのは別に何でもない。
「何をすればいいですか?」
「この紙袋をある場所に届けて欲しいんだ。場所は今送る」
 メッセージアプリの通知でスマホが震えた。見れば、新宿御苑の中にある温室を指している。
「入口で止められたら、私の名前を出せば通してくれるからね。温室の中に紙袋を置いてくるだけで構わない」
「……渡すものではないんですか?」
「うん、置いてくるだけでいい。誰にも会わないようにね」
 頼んだよ、と言い置いて、白澤さんはそのまま出かけていってしまった。
 見送りながら、誰にも会わないようにと言われたのが少し引っかかる。どういう意味だろうかと考えてみるけれど、俺にわかるはずもない。閉園時間を過ぎているから、ということだろうか。
 紙袋の中身をちらと覗いてみる。ビニールに包まれた白い塊が見えるだけだ。何が入っているのかもわからないまま手渡されたそれを片手に、俺は指定された場所に向かうことにした。

 事務所の外に出てみて、思いの外明るいことに驚いた。空を見上げてみると、徐々に青から橙に染まろうとしているところだ。
 少し前はこの時間になればすっかり日が沈んで薄暗くなっていたというのに、いつの間にこんなに日が長くなったのだろう。
 指定された温室に関して言えば、とっくに入場が締め切られている時間だ。
 穏やかな、気持ちのいい風が頬を撫でた。急ぐ理由がなく、時間の指定もない。それならばと、事務所から歩いていくことにした。
 新宿の街並みが徐々に緑に変わっていくのを横目に、紙袋を揺らさないように気を付けてしばらく歩く。中身がわからない以上、なるべく丁寧に扱った方がいい気がするのだ。
 入口に着くと、シャッターはすでに閉まっていた。受付のカーテンの奥からかすかに明かりが漏れているだけだ。
 白澤さんから、入り口で名前を言えば通して貰えると言われていたのを思い出した。声をかけておこうと受付の奥へ声をかけるよりも先に、背後から誰かの声がかかった。
 振り向くと、警護員らしい初老の男性が立っていた。
「本日の入園時間は終了しましたよ」
「いえ、その……白澤探偵事務所の、白澤の使いでお邪魔したんですが」
「……ああ、白澤さんの。でしたら、こちらからどうぞ。お帰りも自由にお通りいただいて構いませんので」
 そう言って、男性は門の脇に備え付けられた小さな扉を示した。慣れた様子に、どうやらこの届け物は定期的に行われているらしいと何となく察する。
 鍵を取り出して開けてくれた男性に礼を言いながら中に入る。日はすっかり沈み、周囲は薄暗い。遠くに新宿のビル群らしき明かりが見えるが、足元の暗さにスマホのライトを灯した。
 問題の温室は、この広い御苑の中にある。簡単に調べてみたが、特徴的な外観を持っているらしい。園内にある案内に従ってしばらく歩いていると、遠目にもわかるガラス張りの建物が見えてきた。
 アーチ状というか、半円を描くような形をしている。暗いから内側ははっきり見えないが、恐らく日が昇っている間に来れば外からでも温室の内側を楽しめるのだろう。逆に、温室から外の景色を楽しむこともできそうだった。
 温室の扉を開ける。鍵はかかっていなかった。
 中に入ると、温かく湿った空気に迎えられた。外とはまるで違う温度に一瞬だけ戸惑う。温室が温かいというのは当然だが、入ってみるまで意外に気付かないものだ。
 熱帯植物の放つ独特な匂いが満ちている。湿っぽいと言えばいいのか、青っぽいと言えばいいのかわからない。もしかしたら植物ではなくて土の匂いなのかもしれない。
 さて、頼まれていたのは紙袋を届けることである。渡す相手はいないからどこに置いてもいいと言われていたのを思い出して、とりあえず目立つ場所に置いておくことにした。
 紙袋を置く。がさりと紙袋の底が土を擦る音がした。
 温室を出る前に、中を見回す。見たことのない植物が所狭しと並んでいて、まるで知らない土地に来たみたいな気持ちになる。
 この広さに何種類の植物があるのだろう。ぼんやりと考えていると、不意に後ろで何かが動く気配を感じた。
 ――誰にも会わないようにね。
 白澤さんの言葉が耳の奥で蘇って、咄嗟に温室を出た。
 温室を出てみると、すっかり夜になっている。涼しい夜風が頬を撫で、少し寒気を感じた。温室の温かさに比べると、随分肌寒い。
 足早に温室から離れながら、ただ大きな葉が揺れただけかもしれないとか、花を見間違えたかもしれないとか、そういうことを考える。見間違いだろうと思いたいのだ。
 暗くなった園内に、白く薄ぼんやりと浮かび上がるものがある。一瞬ぎょっとしたあと、咲き乱れたツツジだと気付いて安堵した。
 暗い中にぼんやりと浮かぶ白い花の群れは、日中と違い少し不気味に見えた。

 咲き乱れたツツジの白い花が視界の端に入るたび、思わず目をそらしてしまう。花は何も悪くないのだが、ぼんやりと暗闇に浮かび上がる様は少し気味が悪い。ツツジの花が視界に入るたび、適当に道を変えて歩く。
 何となく嫌な予感がする。薄気味が悪く、背筋が冷えてくる。居心地の悪さに、早くこの場を出たいという気持ちが強まっていく。しかし、気付いたときには、入ってきた門がどこだかわからなくなってしまった。
 来た道を戻ればいい。わかっているが、何故か後ろを振り返ることができない。何かが背中に張り付いているような、嫌な感じがするのだ。
 振り返ることができないなら、進むしかない。園内にぽつぽつと点在する案内が見つかれば何とかなるだろうと少し歩いて、ふと顔を上げると目の前に人影があった。
 思わず立ち止まってしまう。誰にも会わないように、という忠告を思い出すがもう遅い。驚いて動けずにいると、向こうの方が先に口を開いた。
 低い男の声がした。
「ごきげんよう、お久しぶりですね。私のことを覚えていませんか?」
 その男は、白い手袋をした両手を胸の前で組んで軽く頭を下げた。丁寧な仕草ではあったが、その姿にぞっと背筋が粟立つ。
 俺自身は覚えていない。けれど、知っている。隠された記憶の中で、その姿を見たことがある。
「その目を使って仕事をしていますよね? 使用料の取り立てに来たんですよ」
 突然、頭がじくりと痛んだ。いや、頭ではない。目の奥が鈍く痛む。視界がちかちかと明滅して、足元がふらついた。
「君以外には定着がいまいちでね……良ければ具合も見せて欲しいのだけど、今は難しいようだ。とりあえず、領収書だけ残していくとしましょう。あの探偵が見ればわかるだろうし」
 眩暈がする。このまま倒れるとまずいことはさすがに俺にもわかって、その場に膝をついた。俺に視えるように、男は俺のつま先に封筒を一枚置いて立ち去ろうとしていた。
 何か言わなくてはならない。聞きたいことも一つや二つではない。けれど、目の前がぐらぐらと歪んで何を言うべきかもわからなくなってくる。
「……何が、目的で……」
 声は掠れていた。それでも目の前の男に届くには十分だったようで、男が立ち止まる。
「その状態で喋れる人間がいるとは驚きました。目的なんて知ったところで、理解できないと思いますけど……強いて言うなら、人間へのお節介ですかね」
 この場に白澤さんが居ないことが惜しい。俺が聞いてもわからないことは当然で、それなら少しでも白澤さんが調べやすくなる情報が欲しかった。行かせてはならない。その焦りだけが募る。けれど、もう声も出せない。
 男がまた歩き出す。引き留める間もなく、その姿は夜の闇に掻き消えた。後に残ったのは、暗闇にぼんやりと浮かぶ白いツツジの花だけだった。

 男が姿を消してしばらくして、ようやく頭痛が治まってきた。まだ右目に違和感があるが、動けないほどではない。
 一体どれくらいの時間休んでいたのかとスマホを取り出してみれば、着信履歴が一件残っていた。かけ直そうとして、しかし電話をかけるよりも早く再び着信が来た。
『野田くん、何度もすまないね。まだ事務所に戻っていないようだったから念のため連絡したんだけど、何かあった?』
 慌てて通話を取れば、慌てた様子の白澤さんの声が聞こえた。どうやら、心配をかけるほどの時間が経っていたらしい。
「報告が遅れてすいません、頼まれていた紙袋を届けるのは終わってます。ただ、帰り際に……あの、例の俺の記憶を隠蔽したあの男が居て、ちょっと気分が悪くなって休んでました」
『あの男に会ったってことかい?』
 かいつまんで、男との会話を白澤さんに伝える。覚えていないかと声をかけられ、視える目を使って仕事をしていることやその使用料の取り立てに来たことをつらつらと一方的に話し、封筒を置いて去っていった。思い返してみると、一方的に告げられただけで俺はほとんど何も話していない。
 説明を終えると、電話の向こうで白澤さんが押し黙った。何か考えているのだろう。少しの間沈黙が続いた後、小さく息を吐く音が聞こえる。
『……もう少し、詳しく聞きたい。これから迎えに行くから、門のところで待っていてくれるかな』
「了解す。待ってます……あ、あの、そういえば……咄嗟に何が目的か聞いたんです、俺」
『何と答えた?』
「人間へのお節介だって……理解できないと思うって、言ってました」
 男が置いていった封筒を、月の光に透かして見る。封筒の中には紙があるだけのようだ。一応視ておくかと目を瞑ってみたのだが、何も見えない。本当にただの紙と封筒らしい。
『そうか……うん、とりあえず迎えに行くよ。まだ温室の近くにいるなら、そのまま振り返らずに来るようにね』
「……温室、やっぱり何かいるんですか?」
 してはいけない、というだけで簡単に人間の好奇心は刺激されるのだと白澤さんは知っているだろうか。振り返るな、見るな、と言われるとほんの少しだけ何が居るのか見てみたくなってしまう。
『いつもそこにいるわけではないんだけど……今日はたまたまそこだったんだ。視たら迷子になるからね』
 気を付けて、と言って白澤さんとの通話が切れた。視たら迷子になる、というのは帰れなくなるという意味だろうか。とにかく振り返らずに歩き出さなくてはならない。
 まだ微かに痛む頭をさすりながら、ゆっくりと顔を上げた。
 温室の方は振り返らず、そのまま真っすぐ門へと向かう。夜の暗闇の中、ツツジの白い花が薄ぼんやりと浮かんでいる。今度は、怖くは感じなかった。