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【小説】#28 怪奇探偵 白澤探偵事務所|澱みのヒトガタ

あらすじ:無人のはずの家に人影を見た依頼人から家の調査を依頼された白澤と野田。実際に家を訪ねてみるが人の姿はなく、代わりに見つかったものは――。

(怪奇探偵 白澤探偵事務所|澱みのヒトガタ [ illust ] しまだめりこ)

 風の冷たさに、思わず体がぶるりと震えた。
 今年は例年よりも冷え込みが厳しく、しっかり備えないと体の芯まで凍えてしまう。上着の隙間を埋めるように体を縮こませるが、寒さですっかり目が覚めてしまった。
 空を見上げれば、灰色の厚い雲が一面を覆っている。見慣れた新宿の空とは違うなと思うが、何が違うのかまではわからない。ビルではなく、木々の合間から見えるところかもしれない。予報では雨は降らないらしいのだが、時折強い風が吹くのが辛いところだ。
 目前にはぽつんと一軒の家が建っている。外壁は色あせていて、縁側のカーテンは全て閉じている。埃塗れの窓から中の様子を伺うのは難しい。庭はぼうぼうと草が生え、手入れをされていない屋敷林はどこか薄暗い印象だ。周囲は荒れ果てた田畑が広がっていて、隣の家までは車を走らせなければならない。
 かつてはここに人が住んでいたけれど、今は誰もいない。その事実が何となく寂しくて、それが余計に家を薄暗く見せているのかもしれなかった。

 無人の家から人の気配がする、と調査の依頼があったのはつい先日のことだ。
 依頼者の生家は五年ほど前から空き家なのだと言う。年末、依頼人が墓参りがてら無人になった実家の様子を見に行った。かつて暮らしていた時の思い出にひたりがてら片付けでもと思っていたのだが、締め切っていたはずのカーテンの向こうに男が見えた。
 咄嗟に車に乗って家を離れ、しばらく車を走らせてから通報すればよかったんだと今更気付いた。同時に、カーテンではっきり見えなかった人影が男だとわかったことに違和感を覚える。
 なぜ車に乗って逃げ出したのか。無人の家に居るような男と対峙したくなかったからだ。では、どうして男だとわかったのか。部屋の中も見えない厚手のカーテンの向こうなど、本来なら見えるはずがない。見えないはずなのにどうして気付いてしまったのか、という事実に気付いて恐ろしくなってしまったそうだ。
 それから、どうにか調べてくれそうな人を捜して白澤探偵事務所へ行きついたのだと依頼人が言っていた。怪奇現象の気配がする依頼を断るはずもなく、依頼人から鍵を預かってすぐに移動の手配をした。
 そして今、目前にその家がある。
「野田くん、何か視える?」
「今はまだ何も視えないっす」
「そうか。じゃあ、とりあえず中に入ろう」
 白澤さんが玄関の鍵を開ける。かちゃん、と鍵が回る音がした。扉は何の問題もなく開く。どうやら、鍵はずっと閉まったままだったようだ。不法侵入した人間がいたとしたら、わざわざ鍵を閉めて帰ることはないだろう。
「何かあったら事だから土足で構わないそうだよ」
「……なんか、靴のまま家に上がるのちょっと罪悪感ありますね」
 何かあったら大変だから、とこちらを気遣ってくれる依頼人であることに少しほっとする。怪異ならいい。俺と白澤さんなら十分対応できる。けれど、生身の人間だったら話は別だ。脱いだ靴をもたもた履いている間に何もないとは限らない。
 靴を履いたまま、薄暗い家の中へ進む。和室を中心とした間取りで、部屋と部屋の境にある障子が取り払われていて視界を遮るものがない。
 恐らく居間であったところにはカーペットやソファー、テレビが置きっぱなしになっていた。大きな家具以外はすっかり片付けられていて、ここには住む人が誰もいないんだなという事実を示している。
「じゃあ野田くん、早速視てもらえるかな」
「うっす」
 早速目を瞑ると、瞼の裏で視界がすぐ切り替わる感覚があった。周囲を見回す。あの辺に何があったのかを考えながら居間をぐるりと見れば、視界の隅にぼんやりと光るものを見つけた。
 目を開けてみると、埃の積もったソファーが視界に入った。ソファー全体が光っているわけではなかったのを考えると、どこかに原因があるのだろう。近付いてソファーをよく見てみると、手すりとクッションの隙間に白い紙が捻じ込まれていた。
 これだ、と直感でわかる。破れないようにそっと取り出してみるが、見た目はただの紙くずのようだ。折りたたまれたそれを慎重に開いて、ぎょっとした。
「ヒトガタだね」
 俺の手元を覗き込んだ白澤さんがぽつりと呟いた。人の形を模している紙に、筆で書かれた文字が並んでいる。しかし、文字が崩れていて何が書いてあるのかはわからない。紙は白く真新しいものだが、その文字がなんとも禍々しい雰囲気を纏っていた。
「こういう種類のものは厄介だな」
 白澤さんは小さくため息を吐いた。白澤さんでも持て余すようなものなのだろうかと考えると、途端に余計嫌なものに見えてくる。真新しいというところも、妙に不気味だ。つい最近仕掛けられた、ということにもなる。
 とにかく、これが怪異の原因であることは間違いないだろう。やはり依頼人が見たのは現実にいる人間ではなかったということになる。しかし、このヒトガタをどうにかすれば、この家で起きている異常は解決するのではないだろうか。
「どうします? 今すぐ片付けますか?」
「いや、後にしよう」
 白澤さんは腕組みをしたまま動かない。思わず、えっと口から疑問が溢れかけた。白澤さんの方を見れば、すでに別の部屋へ移動しようとしている。確かに他の部屋はまだ調査が終わっていないが、見つけたものから調査しなくていいのだろうか。
「え、後って……」
「気になるかい?」
「いや、白澤さんが後でいいんなら別にいいんですけど」
 どうするつもりなのだろうと、少し考える。厄介なものを前にしたとき、白澤さんはいつもどうしていたか。必ずそれを解決できるように、あらゆる可能性を考えていたように思う。今はそのときではないということかもしれない。
「理由を言った方がよかったかな?」
「いえ、今わかりました。これはここに置いたままでいいですよね?」
「構わないよ。行こうか」
 ヒトガタを恐る恐るソファーの上に置き、残りの部屋を確認するために部屋を出る。白澤さんは、俺の背後で微かに笑ったようだった。なんでだろうと考えてみたが、笑った理由はわからなかった。
 ヒトガタは、全く見つからない部屋もあれば、大量に見つかる部屋もあった。例えば部屋の中、台所の流し、廊下の片隅、仏間からは六つほど見つかったりもした。念のため、庭や裏の屋敷林も見てみたが、そちらには俺の目で視えるものは何もなかったのでほっとした。
 ようやく全ての部屋を視終わって、ヒトガタを回収して家の外に出る。すっかり日が傾きかけていて、さすがに少し疲れた。
 最終的に、ヒトガタは十六体も見つかった。
 真新しいものもあれば、もはや文字の掠れている古いものもあった。汚れがひどく、紙の一部が欠けているものもあって、これを見つけるたびに対処していたら相当時間がかかっただろうと思う。この数なら、まとめて処理をしなければ時間が足りない。
 しかし、どうしてこんなにヒトガタがあるのだろう。白澤さんの表情は硬く、俺が思うより遥かに状況が悪いのかもしれないと徐々に不安になってきた。
「これは本来、澱みを祓うために使うものでね。幻永界では場を清めるために使うのだけど、こちらで使うと汚れを集め過ぎてしまうところがある……一か所に集めるなんて、そんな使い方をしてはならないものだ」
 曰く、澱みというのは空気の汚れだけを指すものではないのだと言う。例えば怪異であったり、霊的なものを指すこともある。それらを片付けるために使うのがこのヒトガタというわけだ。
「そんなもんが、どうしてこの家にあるんです?」
「わからない。依頼人の周辺調査をしたけれど、依頼人やご両親が誰かから恨みを買っている可能性は低い。土地自体に何か謂れがあるわけでもなかった」
「……誰かが仕掛けたってことですかね」
 やはり、侵入者はいたのだろう。しかし、縁もゆかりもない家にこういう仕組みをする意味が一体何なのか、想像もできない。もしかしたら、意味なんて全くないのかもしれない。
 考えてもわからないことだ。まずはこれを片付けなくてはならない。それが怪奇探偵の請け負った仕事でもある。
「これを全部片付ければ、この家で人影を見ることはもうなくなりますかね?」
「そうだね。家の中から全部回収できたから、その点ではもう問題ないだろう」
 とりあえず、依頼を果たすことはできそうでほっとする。問題は回収したあとのこのヒトガタだろう。
 こういった怪異物はよろず屋であるエチゴさんに引き取ってもらうのが常だ。ついさっき、一か所に集めておくのはよくないと白澤さんが言っていた。引き取ってもらうとしても少数に限る、という意味だろうか。
「エチゴさんに引き取ってもらうんですか?」
「これは既に澱みを集めているから、エチゴさんが扱うのは少し大変かもしれないね」
「あー……なるほど、澱みホイホイってことですもんね」
 まるで害虫みたいな言い方をしてしまって、自分で口にしておきながら少し笑ってしまう。どういうものかがわかれば不安も薄れるもので、今までもっていた不安は随分軽くなった。
「誰が作ったのか調べたいから少し手元に保管しておきたいな。とはいえ、残りは処分になるけれど……」
「白澤さん、一つ確認なんですけど……これって、燃やして大丈夫なものですか?」
 ヒトガタはすべて紙で出来ている。紙を駄目にするなら、濡らすか燃やすかではないだろうか。濡らしただけではものが残ってしまうから、それなら燃やした方がいい。これなら手っ取り早く片付くのではないかと思ったのだ。
 白澤さんは俺の方を見て、二度瞬きをした。それから、ふっと口元だけで笑った。
「そうだね。燃やしてしまえば、もう使い物にはならない。灰になってしまえばエチゴさんに処分をお願いできるね」
「それなら燃やして帰りましょう。どこか火を起こせるところに寄って、灰で持って帰るっていうのはどうすかね」
 あまりこういう提案をしたことがないから、何となく落ち着かない。白澤さんは俺の話を聞いて、それから一度頷いた。
「うん、いいと思う。キャンプ場とか、火を使える場所を探してみようか」

 白澤さんと手分けして調べ、依頼人の家から車を一時間ほど走らせた場所に薪ストーブを併設したコテージを見つけた。急ではあるが宿泊できるか尋ねてみれば無事に予約が取れ、ほっとしながら早速現地へ向かう。
 突然の宿泊になってしまったが、薄暗い家の中を隅々まで視てすっかりくたびれていたから休んで帰れるのは素直にありがたかった。コテージに向かう途中で食料やら諸々を調達すれば、もはや仕事というよりちょっとした小旅行のようになっていて少し笑ってしまう。
「誰が置いて行ったんでしょうね、これ」
 薪ストーブの中にヒトガタを並べ、マッチの火を投げ込む。灰は回収しなければならないから、薪を入れるのはこのヒトガタが燃え落ちた後だ。
「目的はわからない。一つあれば、あの家を片付けるのに十分なのに……こんなに用意する理由があるとすれば、意図的に怪異を起こそうとしたとしか思えない」
 白澤さんは、ちらちらと揺れる炎をじっと見つめている。真新しいヒトガタも古びたヒトガタも、それぞれが橙の炎に巻かれて捩れて一つ、また一つと燃え尽きていく。
「澱みを集めて怪異を起こすって……そんなことできるんですか?」
「できるかどうかより、やるかやらないかという感じかな」
 やらせはしないけれど、と白澤さんがぽつりと呟いた。あまりに小さな呟きはまるで独り言のようで、俺に言った訳ではなかったのかもしれない。けれど、白澤さんであればそうするだろうとも思う。
 最後の一体が燃え落ちる。薪ストーブの熱が冷めるまで、少し待たなくてはならない。
「野田くん、提案してくれてありがとう。私では思いつかなかったよ」
「いや、そんな……紙だから燃やせばいいかなって、安直に考えただけなんで」
「そんなことはない。また何か、思いついたことがあったら教えてくれるかい?」
 白澤さんは目を細めて俺を見ている。色付きレンズの奥にある金色の瞳を見ていると、本当に心から言ってくれていることが何となくわかって、何だか照れ臭くなってしまった。
「また何かあれば、言いますね」
「うん、頼むよ。……とりあえず、夕飯にしようか?」
 仕事が片付いた安堵からか、俺の腹がぐうと鳴いた。そういえば、朝から昼過ぎまで調査にかかりきりだったから昼飯を飛ばしていたんだった。空腹を自覚すると、途端にどっと疲れるのは何故なのだろう。
「支度するんで、白澤さんはお風呂お願いしてもいいですか? なんか、体が埃っぽくて」
「任せておいて」
 広いコテージの中、会話を交わしていると心が和らぐのを感じる。わからないことは多いが、焦っても仕方がない。とりあえず俺にできることからやっていこうと考えながら、まずは夕飯のために立ち上がった。