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【小説】#11.5 怪奇探偵 白澤探偵事務所|青い珊瑚のかんざし|閑話

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 百乃さんと日菜子さんの一件が終わって幾日か経った。
 時計の針が十時を指し、いつもと同じように事務所が動き出す。キーボードの音、外から聞こえる車の音も変わりはない。月変わりのお守り札を送るために郵便局に行かなくてはいけないのだった、と思い出して封筒の束をまとめて抱えた。
「オーナー、郵便局いってきますけど何か出すものありますか」
 俺の問いかけは、ばたん、と思い切り開かれた事務所のドアの音にかき消された。
「来たわよ!」
 高らかに宣言し、事務所に入ってきたのはパンパンになったトートバッグを抱えた百乃さんだ。改めてお礼に行くとは言っていたが、今日もまた突然の来訪である。ちらとオーナーを見れば、オーナーは給湯室を指さした。郵便局に行くのは今すぐでなくてもよくて、幸い来客の予定も外出の予定もない。一緒に百乃さんの話を聞こう、ということらしい。
「いらっしゃい、ソファーにどうぞ。野田くん、お茶……」
「助手くん、わたし紅茶がいい!」
「……了解です」
 オーナーは口元に手をあてて細かく震えている。笑っているらしい。リクエストされたなら応えねば、と紅茶の用意に給湯室へ向かった。

「この間は本当にありがとう!」
 氷を浮かべたグラスを三つ並べ、ソファーに向かい合って座った瞬間、百乃さんが自分の膝につくほど頭を下げたので少し驚いた。短い時間ではあったが、前回会ったときの様子から照れくさくて御礼をはっきり言えないのでは、なんて思っていたのだ。ほどなくして顔を上げた彼女は、満面の笑顔を見せてくれた。
「ヒナと、ヒナのパパと話をしたの。ヒナのパパはわたしにごめんなさいしてくれたし、これからも仲良くしてねって!」
「それはよかったです」
 オーナーは満足そうに微笑んでいる。実際のところ、彼女たちの付き合いが円満に長く続いてくれればと思っている俺にとってもうれしい話だ。
「それで、御礼の品なんだけど……モノでもいい?」
 百乃さんはテーブルの上にあるグラスを端に寄せ、パンパンに膨らんだトートバッグを乗せる。曰く、あちら側とこちら側の外貨両替にあたるものが大変混雑しており、しばらく現金を用意するあてがないらしい。
「そういうことなら、全然構いませんよ」
「本当? ありがとう、じゃあ好きなの持っていって!」
 トートバッグがくるりとひっくり返され、中身がテーブルに散らばる。小物の山が出来た。俺はそっとアイスティーのグラスを持ち上げ、零れないように小物の山と距離を取った。
「……宝箱ですね」
「大江家のものとしてこれくらいは当然よ!」
「ああ、大江さんちの……」
 百乃さんはふふん、とご機嫌に胸を張る。俺にはわからないが白澤さんは百乃さんのご実家を知っているらしい。有名な家なのだろうか。というか、そういう文化があちら側にもあるのだろうか。よくわからないが、それよりテーブルの上に広がった小物の数々に興味をひかれた。
 氷が溶けて薄くなったアイスティーを飲みながらテーブルの上に広がるものを見る。どれも見かけたことがあるような馴染みのある形をしているが、記憶にあるものと色が違ったり、質感が違うものが混ざっている。想像でしかないが、時空が歪むコインなんかもこんな感じで普通に存在しているのだろうな、と思った。
「では、こちらをいただきます」
「それだけでいいの?」
「十分すぎるくらいですよ」
 ぼんやりと小物の山を見ているうちに、オーナーが何かを選んだらしい。何を選んだのか気になったが、テーブルの上から何が無くなったのかわからない。後で聞いてみようと決め、グラスをテーブルに戻した。
「よろしければ、少々お待ちいただけますか? 私からも百乃さんにお渡ししたいものがあるんです」
「え? それは、構わないけど……」
 こちらの生活で役に立ちそうなものをいくつか見繕っておいたので、と言ってオーナーは席を立った。百乃さんはきょとんとしたままそれを見送る。御礼にきたのに何か貰うことになるなんて思ってもみなかった、という顔である。
「白澤ってなんていうか……マメね」
「気になるんじゃないすかね、たぶん」
 百乃さんはテーブルに広げた小物の山をトートバッグに戻しながらつぶやく。面倒見が良いひとなのだ。これはしっかり面倒を見てもらっている身なのでよくわかる。
「ふーん……あ、助手くん。これは助手くんにあげる!」
 百乃さんに差し出されたものを受け取る。黒い革ひもが環になっていて、環の中央にはつやつやと光る乳白色の石がついている。環の大きさは手首に通るくらいだろうか。
「あ、ども……ありがとうございます」
「ブレスレットだけど、こういう仕事なら守り石はいくつあってもいいから!」
 耳なじみのない単語に、つい手が止まった。
「守り石……ですか?」
「うん、そう。知らない?」
 わたしは説明下手だから白澤に聞いてね、と言って百乃さんは小物をバッグに詰める作業に戻った。
 貰った石を手のひらに乗せ、じっと見る。石、というか真珠に似ているような気がする。不透明で、ただただ白い石だ。守り石というのが何に使うものなのか、そもそも持っていた方がよいとか悪いとかあるものなのかはわからない。この件については後でオーナーに聞いてみようと決めた。
「あとね、助手くんの目はすごくいいけど力はないから!」
 百乃さんは次の話題とばかりに話を変えた。びし、と目を指さされると一瞬どきりとする。目がいい、というのは視ることの話だろうか。力というのは何の話にあたるのだろう。思い当たるとすれば、青い珊瑚のかんざしに符を当ててみたものの全く何も感じなかったことだろうか。
「視ることに全部使っちゃってる感じね!」
「そういうのってわかるものなんすか……?」
「わたしはわかるの」
 白澤がわかるかどうかは知らない、と言いながら百乃さんはパンパンのトートバッグを撫でた。さっきまでテーブルに出ていたものが全てバッグの中に戻ったのかと思うと、少し異次元を感じる。
「本当に、目はとびきりいいから大事にしてね!」
 白澤がすると思うけど、自分で気を付けておいて損することはないからという百乃さんの口調は柔らかい。気を付けます、と言ってもらったブレスレットをくるりと左手に巻き付けた。
「お待たせしました、これが一式です」
「ありがとっ! じゃあ、これからヒナと約束があるから!」
 百乃さんはすっかり氷の溶けきったグラスを一息で飲み干し、オーナーが持ってきた紙袋を受け取って颯爽と事務所を出ていった。時計を見る。百乃さんが来てから、まだ三十分も経っていない。何というか、来るときだけでなく、帰るときまでも嵐のようであった。
「……あっという間でしたね」
「そうだね……あ、野田くん、百乃さんに何かもらった?」
 オーナーが俺の左手を見て言う。空になったグラスを片付ける手を止めて、左手に巻いた百乃さんから貰ったブレスレットを外した。
「百乃さんが、守り石を持っていた方がいいから、って」
 ブレスレットをオーナーに手渡す。オーナーは輪の中央にある石をじっと見つめ、なるほどとばかりに頷いた。
「守り石というのは、何かあったときに身代わりになってくれる石なんだ。何かあったときといっても色々あるけど、怪我とか事故が多いかな」
 色々ある、という部分には触れないことにして、守り石自体は身を守る効果のある石と理解して良いらしい。なるほど、確かにそういうものはいくつ身に着けておいてもいいだろう。こういう仕事なら特に、と言った百乃さんの言葉も理解できた。
「オーナーにもらったお守りとは違う感じですよね?」
「そうだね。野田くんがよければ、お守りの効果をこの石にも移すことが出来るけど……どうする?」
 オーナーには今までに二度、視えすぎてしまうから力を抑えるためにということでお守りを貰っている。お守りがあることで、普段の生活でも何となく過ごしやすくなったのを感じているからこそ、お守りと同じ効果を得られるのならありがたいことだ。
「ぜひ、お願いします」
「わかった。私の方で一度預かっておくね」
 百乃さんから貰ったブレスレットは、そのままオーナーのポケットに収まった。石にどういう細工をすればお守りと同じ効果になるのだろう。想像もできないことに、つい思考がぼんやりしてしまう。
 改めて、知らないことばかりあるなと思った。ただでさえ普通に生活していく上でもよく知らないまま放っておいていることが多いのに、境界のあちら側のことともなれば知らないことは更に増える。
「野田くんが今考えてること、当ててみようか? ……わからないことが多いな、とか?」
「……オーナー、心読めます?」
「どうかな、表情がそうだったから。野田くんが聞きたいことがあるなら、わかる範囲で答えるし、教えてあげられるよ」
 本当は私から全て話すべきなのだけど、と添えてオーナーは苦笑する。そもそも、俺は何がわからないのか、自分でわかっていなかった。もしかしたら、オーナーもどこまで話すべきか迷っていたのかもしれない。
 どこからどこまで知るべきかというのはわからないけれど、白澤探偵事務所にいる限りは怪異と触れ続けることになる。それなら、少しでも多くのことを知っていたほうがいい。
「そうですね、色々聞きたいです」
「うん、では午後に」
 オーナーが自分のデスクに戻る。俺も空のグラスを片付けて、郵便物をまとめた鞄を持って外に出た。
 日射しが眩しく、じっとりした空気が重たい。初夏の気配が濃くなっていて、この生活も半年が過ぎたのだと気が付く。これからも続けばいいと思うし、続けるために何をすればいいのかを話そうと言ってくれる人でよかったとも思う。自然と足取りが軽くなる。やるべき仕事のために、早く事務所に戻りたくなった。