見出し画像

【小説】ハッピーアイスクリーム

A5/22P/表紙・ミランダホワイト
遊び紙がかわいいアイス柄の本です!

遊び紙のデザインに合わせて、
いつか花は咲くだろう」の牧と五十嵐、
怪奇探偵 白澤探偵事務所」の白澤と野田、
西荻窪・深山古書店の奇書」の深山と一本木が、
それぞれ氷菓を楽しむお話です。

Boothで通販を行っております。
https://suzume-ho.booth.pm/items/2279915

画像4

雪見大福

 暑いのはどうにもならない、と五十嵐が扇風機の風が当たる場所に椅子を運んで言った。
 春先に引っ越しをして、梅雨の湿気に慣れた頃ようやく夏が来た。今まで過ごしていた夏と違うことがあるとするなら、蝉の鳴き声や風鈴の音があまり聞こえないことだろうか。そういえば、梅雨にカエルの大合唱も聞こえなかった。都会の方が、夜は静かだ。つまるところ、周辺の環境が違うくらいで、あまり変化を感じてはいなかった。
 五十嵐は、地元よりこっちのほうが暑いと言っていた。僕はあまり違いを感じない。どうやら、五十嵐より僕のほうが暑さに耐性があるらしい。
 外はからっと晴れていて、カーテンの隙間から差し込む光の強さに一瞬驚く。確か、今日は猛暑日になると天気予報で言っていた。室内でも熱中症への対策をお忘れなくというお天気キャスターの言うことをしっかり守り、除湿機とエアコンによく働いてもらっている。
 五十嵐は扇風機の風を浴びながらぼんやりしている。今日は休みが合ったから何かしようかと話はしていたが、この様子だとまず出かけることはなさそうだ。僕はソファーを独り占めして横になり、そよそよと降りてくるエアコンの風を浴びている。
「……タオルケットいる?」
「大丈夫。昼寝じゃなくて、ちょっと横になっただけだから」
 口に出してみて、あまりに説得力がなくて少し笑ってしまった。涼しくて過ごしやすい部屋で横になったら、大体の人間は眠ってしまうと思う。上体を起こせば、五十嵐も小さく笑って立ち上がった。
 扇風機の前にあった椅子を元あった場所に戻す。そのまま座って休むのかなと思っていたら台所へ向かったので思わず目で追ってしまう。昼飯かな、と時計を見上げた。午後三時を過ぎている。昼飯というよりおやつ時だ。
「牧、半分食べない?」
 そう言って五十嵐から差し出されたのが雪見大福だったから、一瞬手を止めた。
 雪見大福と言えば、二個で一つのパッケージに入ったアイスである。半分ずつ開封できるように両面に開け口があって、一度に食べ切れなければ次に残しておくことができる。今食べないのなら冷凍庫に入れておけばいいんじゃないかと思うし、何よりその片方を貰うというのはなんだか申し訳ない気がする。
「……その半分は結構大きくない?」
「一個食べたら十分なんだよね。冷凍庫にずっと入れておくと霜がつくし」
 五十嵐が僕に雪見大福を渡そうとする理由も少し不思議で、小さく笑ってしまった。確かに、雪見大福が冷凍庫の中で静かに霜を帯びていくのを想像するとかわいそうな気がする。美味しく食べられるときに食べてやるのが一番いいと五十嵐にも念を押され、差し出された雪見大福を受け取ることにした。
 雪見大福が乗った小皿がひんやりとしている。添えられたフォークでつついてみるが、まだ固い。もう少し時間をおこうかな、と顔を上げたら、五十嵐は早々に大福にかじりついていた。
「五十嵐、食べるの早いね」
「ちょっと待とうかなって思ってると溶けるから」
 雪見大福は食べるタイミングが案外難しいと言葉を交わしながら再びフォークでつつけば、今度はフォークの先端がくにゃりと埋まった。自分の手のぬくもりでだいぶ溶けてきたらしい。丸かじりにしようかフォークで切ろうか一瞬迷って、とりあえずかじることにした。
 やわらかい求肥を口に含むと、中に包まれたアイスがまだ冷たくて歯を立てるのに少し迷った。冷たいものを噛むときってどうしてこうも歯がきんと痛むんだろうか。それは歯に通った神経が、と自分でわかってはいるが、冷たいものは冷たいので慣れるまでじっと待つ。
 口内が冷たさに慣れたころに歯を立ててみるが、求肥がなかなか切れなくて難儀する。薄いもち部分が伸びて、ぷつりと切れた。もちもちとした求肥と、冷たいバニラアイスが自分の熱で溶けていく。飲み込むと、喉の奥へ冷たいものが滑り落ちていくような感覚があった。
「……久しぶりに食べると甘いね……」
 一個食べたら十分という五十嵐の言い分も少しわかる。年々、甘いものは少しでいいなという実感が強くなる。カップアイスは一度で食べ切れないし、ハーゲンダッツは食べるという覚悟を決めてからでないと中々手にとれない。
「半分牧に任せられるから、こういうの買いやすくなった」
 すでに食べ終わったらしい五十嵐が言う。僕は溶けかけた大福を口に運び、また求肥が伸びた。雪見大福は、いつも食べている間に求肥がすっかりなくなってしまってバニラアイスだけが残ってしまう。
「でも、さすがに悪いよ。半分もらうのは……」
 何か自分の持っているもので、五十嵐におすそ分けできるものはあっただろうか。冷蔵庫の中身を思い出しても、冷凍庫の中身を思い出しても、あまりおすそ分けできそうなものはない。生活の方ではまだあまり役に立たないし、と考えて最後の一口を掬う。甘ったるいバニラが溶けて、口の中が甘ったるい。
「じゃあ、ソファー半分ちょうだい」
「いいけど……」
「やった。もらった」
 ソファーの半分を開けると、五十嵐がそこに座った。ここはエアコンの風が通る場所だからか、じっとしているだけで冷風が通る。五十嵐は気持ちよさそうに目を細めているあたり、心地よいようだ。
 隣にいる五十嵐をじっと見ているのもおかしい気がして、ぼんやりと自分の手元へ視線を落とす。人と距離が近いと、どこに視線を投げたらいいのかわからなくなってしまいがちだ。
「牧、何か見る?」
「見ようかな。ええとね、タイトルがわからないんだけど、最近塾の子たちに見てないのって言われてるアニメがあって……」
 五十嵐が少し考え込んで、タイトルをいくつか挙げてくれた。そのうちのひとつに心当たりがあって、五十嵐がリモコンを操作してくれる。僕は小皿を片付けるために立ち上がって、台所へ向かう途中で振り返った。
「五十嵐、コーヒー飲む?」
「飲む。アイスで口の中が甘くて……」
 僕もそう、と言って支度をはじめる。最近は熱いコーヒーではなく、冷蔵庫に無糖のアイスコーヒーを常備している。五十嵐はミルクも砂糖もいらなくて、僕は半分を牛乳にして飲むのが常だ。
 同じなんだな、と思うと少し嬉しいのはなぜだろう。年も同じだし、甘いものが少しで足りるのもそうだ。違うところもあるけれど、同じところもある。それが嬉しいのは、生活を共にしているからというだけではないだろう。共有できることがうれしいのだと今の僕にはわかっている。
 何かを分けることは出来ないけれど、代わりに作ることはできる。自分の分を作るついでではあるが、半分を貰った礼に足りるだろうか。ついでに塩気のあるおやつでも出してこようかと棚を開ける。五十嵐のほうは支度が出来たようで、テレビからは最近子供たちからよく聞くセリフが流れ出している。どうやら予告編らしく、短い場面が次々と切り替わっていく。
「お待たせ」
「再生押すよ」
 コーヒーを手渡す。受け取ったのを確認して、ソファーに座った。僕と五十嵐の間には柴犬のプリントされたクッションが挟まっている。
「五十嵐、今度は僕が雪見大福買ってくるね」
「……うん、わかった」
 半分もらって、とわざわざ言うのは何となく気恥ずかしくて、黙ってクッションを腹に乗せた。黒柴のプリントを撫でながら、こういう夏もあるんだとどこか不思議に思いながらコーヒーを飲む。口の中に残っていたバニラの香りが、コーヒーに流されていった。

かき氷

 休日の午後、薄いカーテンの向こうから強い日差しが透けて見える。
 白澤探偵事務所は壁を蔦が覆っているからか、前に住んでいた家より随分涼しい。ただ、伸びてくる蔦に窓がふさがれないように時々手の届く範囲の蔦を切ってやる必要があった。特に、夏はすぐに窓枠に蔦が這ってきてしまう。
 窓越しに蔦の先が見えたから、じりじりと照る太陽の光を浴びながら片付けた。伸びてきた部分を切るだけの簡単な処置だが、やらないよりはずっといい。白澤さんは気にしなくてもいいというが、俺としては日光が全く入らない部屋というのも陰気すぎて気になるから、適当にやらせてもらうことにしている。
「野田くん、お疲れ様」
 白澤さんはソファーで寛ぎながら、タブレットを片手に読書を楽しんでいる。見慣れた休日の姿である。切った蔓を見せれば、今年もよく育っているねと白澤さんは小さく苦笑した。
「外は暑い?」
「暑いっすね、三十度超えてますよ」
 少し窓を開けていただけなのに、肌がじんわりと汗をかいている。緑に触れた手をぬるい水で洗い、泡を流し終わる頃にはっと気が付いた。
 そういえば、先日買ったフードプロセッサーに氷用の刃が付属していた気がする。
 かき氷が作れる、と気付いて即座に冷蔵庫を開けた。シロップの材料になりそうなものがないかと冷蔵庫のポケットを探し、いちごジャムやら、レモン果汁の瓶を取り出す。ジャムでは甘すぎる気がして、レモンだけを手元に残した。
「何か作るの?」
 物音に興味をひかれたのか、いつの間にか白澤さんがキッチンまで来ていた。キッチンの収納棚からフードプロセッサーを取り出す。氷用のカッターもあることを確認してから、白澤さんの方へ顔を向けた。
「かき氷作ろうかと思って」
「いいな。私も食べたい」
「いいっすよ」
 食べたいと言われると用意しやすい。人の分を作ることが苦ではないし、一人で食べているほうが居心地が悪いから食べたいと言われるほうが助かるところがある。
 冷凍庫から氷を掬い、フードプロセッサーに移す。カバーをしてから本体を取りつけ、上から抑えるようにして起動してやれば氷を砕くすさまじい音がして、思わず目を見張った。それは俺の手元をのぞき込んでいた白澤さんも同じで、いつもより目が丸くなっている。
「すごい音だ。驚いた」
「氷を砕いてますからねえ」
 何度か撹拌させると、いくらか音が滑らかになった。本体を取り外し、カバーを開けるときらきらと光る氷の粒が見えた。おお、と思わず声が漏れる。もっと荒い粒になるだろうと思っていたのだが、思いのほかさらさらとしたかき氷らしい見た目をしている。
「これは何味のかき氷になるのかな?」
 白澤さんはガラスの食器を二つ並べ、一つを俺に差し出す。俺は手元にあるレモン果汁の瓶を振った。
「レモン味です。これとガムシロップを混ぜると、レモンシロップができるんで……」
 レモン果汁とガムシロップを混ぜ合わせるお手軽なものだ。レモネードのシロップとして教わったものだが、割合なんにでも使えるからよく作る。
 白澤さんの持ってきたガラスの器に氷を盛りつけて、レモンシロップをかける。氷が入った皿はひんやりと冷たく、手のひらが気持ちいい。先にどうぞと手渡せば、白澤さんはにっこりと微笑んで受け取ってくれた。
 追って自分の食べる分の氷を砕き、レモン果汁多めのシロップをかけて、片付けは後でと早々にかき氷を持ってソファーへ向かう。白澤さんはゆっくり食べているのか、氷とシロップを十分に混ぜて、汗をかいてきたガラスの器をぬぐいながら氷を口に運んでいる。
「野田くんはレモン味が好きなのかい?」
「好きっていうか……弟がブルーハワイで、妹がいちごだったんですよ。俺がレモンを選ぶと三色になって、ちょっと分けてやると喜ぶから……それでレモンばっかりでしたね」
 縁日に妹弟ふたりだけで行かせるのは危ないからという理由で、三人で揃って行くことが多かった。小遣いの範囲で自由に買えるものは多くなく、かき氷と焼きそばに光る腕輪か綿あめがせいぜいで、そのわずかな楽しみに色を添えてやるくらいはしたかった。
「白澤さんは、かき氷に好きな味ってあります?」
「印象に残っている味はあるけれど、どれかひとつ選ぶのは難しいね……」
 白澤さんはいつのまにかかき氷を食べ終えていて、空の皿をテーブルに置いて指を組んでいる。俺は氷を口に運びながら白澤さんの答えを待っている。ひんやりとした氷と、レモンの味が爽やかだ。乾いた喉にしみる冷たさと酸味に、喉の奥が縮むような感覚がある。
「宇治金時も好きだし、いちご練乳も捨てがたい。ああでも、やはり最初に口にしたものが印象深いかな……」
「何味です?」
「すい、というんだけど……みぞれと言った方がわかりやすいかな?」
 砂糖水を火にかけて冷やしたものなんだけど、と言って白澤さんは目を細める。みぞれ、というのは聞き覚えがある。三個で三百円、みたいなアイス売り場によくある、少し古風な氷菓子だ。白澤さんがどれくらい生きているかはわからないけれど、砂糖と水だけで出来ているというあたりからしてシロップよりずっと昔のものなのだろう。
「今度、それを作ってみましょうか」
「それは嬉しい。記憶にあるものと今あるものは違うけれど、今でも触れあえるのはいいことだからね」
 あとで作り方を調べようとケータイの検索画面にキーワードだけを入れる俺の横で、白澤さんは今までにどんな味のかき氷を食べたか両手の指を追って数えている。いちご、レモン、りんご、キウイと上げていくうちに指では足りなくなって、最終的に果物の種類を読み上げる人みたいになっていた。
「これから新しいものも増えていくんだろうなと思うと、楽しみだな」
「美味いのが増えるといいですね」
「少し前にね、海老のビスクとか焼きトウモロコシ味を出してるかき氷屋さんを見つけて……」
「……その冒険はあんまり、なんていうか、おすすめしませんけど……」
 そうかなあと不思議そうに言う白澤さんは、恐らくそのうち食べにいくのだろう。俺はあまり、そういう冒険をする気にはならない。白澤さんは人間が考えたものも愛おしむというか、何でも楽しもうとするところがある。人間が好きなのは本当なのだな、と毎度不思議な気持ちになる。
 窓の外から、かすかに蝉の声が聞こえている。夏だ。今日切った蔦も、また伸びてくるだろう。
 今度は切るのではなくて、窓枠の外に沿わせてやろうか。それならさらに上に伸びていけるだろう。そういうやり方で窓からの光を守るのもいいのかもしれないと、溶けたレモン氷を飲みながら考えていた。

アイス

 首筋に滲む汗を拭って、麦茶を一息に飲み干した。
 外は雲一つない青空で、深山古書店に着くまでじりじりとした光を浴びていたから肌がじんわりと熱い。昼は、日が一番高い時間である。影が短く、日よけになるものもないから眩しい日差しに焼かれながら来てしまった。
 ついさっきまで蝉時雨を浴びていたからか、耳の奥でまだ蝉の鳴き声が聞こえる気がする。そこまで緑が多いわけでもないのに、蝉の姿は見えずに鳴き声ばかりが聞こえるのは不思議だ。いったいどこに隠れているのだろう。
「一本木さん、汗すごいっすね」
「暑かったからな」
 今日は休日で、昼から凛太郎と奇書の異世界に行く約束をしていた。凛太郎はどの奇書にいこうか決めかねているらしく、茶の間のちゃぶ台には本が何冊か詰み上がっている。
 ハンドタオルで汗をぬぐっているが、まだ収まらない。古書店についてすぐ凛太郎が麦茶を出してくれたおかげで多少ましにはなったが、書斎に入るのはしばらくやめておいたほうがよさそうだ。凛太郎の蔵書を汚すのは避けたかった。
「アイス食べます? 体の内側を冷やしたらもうちょっと涼しくなりますかね」
 凛太郎は扇風機を俺の方に向けながら、夏の間だけ茶の間に置くことにしているという小型冷凍庫からフルーツアイスキャンディの箱を引っ張り出してきた。パッケージには瑞々しいフルーツと色とりどりの棒付きアイスが並んでいる。
「何味がいいすか?」
 パッケージをじっと見る。りんご、オレンジ、ぶどう、パイナップルの四種があるらしい。特に果物に好き嫌いがあるわけでもない。
「どれでもいい」
「じゃあ凛太郎お兄さんが選んであげますよ、ええとね……これです!」
 最後の一本なんですよ、と言いながら差し出されたのは紫色のアイスキャンディだった。凛太郎が好んで食べているから最後の一本なのか、たまたまだったのかはわからないが、礼を言って受け取りビニールを剥く。
 どうやら深山古書店のミニ冷凍庫は年代物らしく、きんきんに冷えているというよりは今すぐ食べられる程度で冷やされているようで、歯を立てるとシャーベット状に崩れてぶどうの味が口いっぱいに広がる。熱が溜まった体にはあまりに冷たく、ぶるりと背筋が震えた。
「……こういうの久しぶりに食べたな」
「えっ、一本木さんは家でアイス食べないんすか」
 凛太郎も自然に一本を取って箱を冷凍庫に戻し、即座にビニールを剥いている。黄色がかった色をしているから、味はりんごかパイナップルだろうか。こういう棒アイスのりんごは妙に甘さがしつこくて、本当にりんごの味はこうだったか不安になることがある。
「うちは甘いのが多い。弟がチョコ派で……アイスボールとか、シューアイスとか」
「ああ、なるほど。欲しいだけ取って食べるみたいなやつですね」
 個包装のアイスボールは弟の小腹にちょうどよかったらしく、昨年は勉強の息抜きに食べるものとして冷凍庫を圧迫していたのをよく覚えている。今年はといえば、アイスボールの主な消費者である弟が新生活に忙しく、あまり減っていかない。
「ボクはいつもこれっすね。溶ける前に食べ切れるんで、ちょうどいいんすよ」
「ああ、確かに」
 棒アイスは食べている間に溶けてしまいがちだ。棒の先端からかじっていくと、どうしても根元の方にたどり着くころにはぽたぽたと溶けてしまっている。弟が小さいころはよく食べている途中で棒から外れて床に落ちてしまい、しょんぼりと肩を落としていたことも思い出す。
 凛太郎はと言えば、溶ける間もなくがりがりと齧っている。俺もほとんど齧ってしまっていて、溶け落ちそうな気配はない。さすがに今の年齢になると、溶けるより食べ切るほうが早い。
「ただ、あんまり早く食べると頭痛くなりますね……」
「かき氷?」
「そう、ええと、アイスクリーム頭痛?」
 頭痛が来たらしい凛太郎は、棒を齧りながらこめかみを押さえて悶絶している。俺も追い付いて食べ終わったが、特に頭痛の気配はない。
 この手の痛みは頭痛薬が効くわけでもなく、痛みが落ち着くまでじっとしているのがせいぜいだろう。俺が深山古書店に通うより前もこうしていたのだろうかと思うと、少し不思議な気持ちになる。
「……今日はどの本に行きましょうかね」
 頭痛を紛らわすためか、凛太郎は棒をゴミ箱に放ってちゃぶ台にあった本を手繰り寄せる。俺も同じように棒をゴミ箱にいれ、ちゃぶ台に寄った。ついでに俺の方を向いていた扇風機をちゃぶ台に向けなおした。
 すでに本を読むことに夢中になっているのか、俺がちゃぶ台に寄ったことに気付いていないようだ。本を開き、肘をついた左手に頭を乗せ、右手でページを捲っていく。猫背がいつにもまして丸い。
 俺も何か読もうかと一冊を選び、手に取る。
 凛太郎は奇書であれば何でも取り寄せるらしく俺が読めるような本はあまりなかったが、最近は日本語のものが多い気がする。本だけでなく、絵本や写真集、画集、雑誌類をよく見かけるようになった。
 ハードカバーの本にも随分見慣れた。手に持つとしっかりと重さがあって、本があるという確かな存在を感じられるところがいいという凛太郎の言うこともわかる。
 遠くから蝉の声が聞こえる。ミンミンとか、ジワジワとか、聞きなれた夏の音だ。時折、店の軒先につるした風鈴の音が鳴る。ちりん、ちりんとかすかに鳴る音はどこか涼し気で、夏というのはこういうものだったのかとも思う。追って、凛太郎がページを捲る音がする。ゆっくりと、けれど一定のペースで続くのが心地いい。
 自分も同じように本を捲れば、ぱらりと音がする。文字を追うが、話が頭に入って来ない。ぼんやりしているというか、単に眠いのだろう。人間は体が冷えると眠くなるようになっていると、いつだか聞いたことがある。
 ふと凛太郎が顔を上げ、俺が読んでいる本の横に別の本を添えた。意図がわからず顔を上げれば、凛太郎は楽しそうに目を細める。
「それ、続きの巻なんですよ。こっちのお話が先なんで、これから読んだ方がわかるかもしれないっすね」
 本を読みながらうとうとしていることに気付かれていたらしい。なるほど、と頷いて手渡された方を開けば、よほど文章が頭に入ってくる。凛太郎の方をちらと見れば、目尻に笑い皺が浮かんでいる。微笑ましい、と明らかに顔に書いてあって、つられて頬が緩んだ。
「続きも一緒に奇書になるものなのか?」
「そうですねえ、基本的にシリーズものが奇書になると前後も奇書になってることが多いっすね……」
 凛太郎は随分絞り込めたらしく、ちゃぶ台にあった本のいくつかを減らして畳に移動させる。四冊が残って、順番に開いて比べたり、ぱらぱらとページを捲ったりと忙しい。これから訪れる奇書が決まるのであれば本を読むのはいったんやめようかと閉じれば、凛太郎ははっと目を開いた。
「いいっすよ! 大丈夫です、そのまま読んでください!」
「奇書に行くんじゃなかったのか?」
「いや、ボクは奇書に行くのも、一本木さんと本を読むのも、どっちも好きなんで……ボクが読んだ本を一本木さんが読んでくれるのも嬉しいし」
 強く引き留められ、思わず本を開きなおしてしまった。どうやら凛太郎は一緒に読むというだけでも十分楽しいらしい。俺も本を読むことは日常的にないし、凛太郎が勧めてくれるものは俺でも話を楽しめることが多いから楽しいことは確かだが、それだけでいいものだろうかと考えてしまう。
「何ていうか、ボクは読んだらそれでおしまいだったんで……これ面白いなってやつを見てもらうだけで充分うれしいっていうか……うまく言えないんすけど」
 凛太郎はどこか気恥ずかしそうに頬を掻いている。なるほど、同じものを見る、体験する、というのが凛太郎は嬉しいのかもしれない。奇書の異世界に行くのを決めた時も、そういえば同じように喜んでいた気がする。
「わかった。きりがいいところまで読んでからにしよう」
「そうしましょう! ボクもどの奇書にしようか決めかねてるんで……あ、一本木さんに決めてもらえばいいのか」
 いいことを思いついたとばかりに指を鳴らし、凛太郎は俺の前にいそいそと本を並べた。
「この中から一冊、何でもいいんで選んでください。ボクはどれでも楽しいので!」
 本が四冊並んでいる。そのどれもが内容が予想できない表紙で、正直迷った。どれでも楽しいとはいうが、好みそうなものを選んでやりたい気持ちはある。
「……これにする」
 一冊を指さすと、凛太郎はその一冊の表紙をさらりと撫でた。その横顔が十分嬉しそうだったから、これで良いのだろうと思う。
 選んだ一冊を凛太郎が開き、目線から本を読み始めたのだとわかった。俺もまた、同じように手元の本に目線を落とす。
 外で蝉が鳴いている。ゆっくりとページを捲る音がする。扇風機の風が頬を撫で、俯いて垂れる前髪を揺らした。今までになかった夏だな、と思う。凛太郎も同じことを考えているだろうかと考えながら、徐々に物語へと意識が傾いていった。

画像5

\Boothで通販を行っております/
https://suzume-ho.booth.pm/items/2279915