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【小説】#32.5 怪奇探偵 白澤探偵事務所|黄昏る人影|閑話

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「こんなに食べたら正月まで持たなくないですか?」
「大丈夫、こんなこともあろうかと他のお店にも予約してあるんだ」
 抜かりはないという様子の白澤さんに少し笑う。
 持ち帰ってきた餅は、早々に半分以上が俺と白澤さんの胃に収まった。磯部から始まり、次はきなこ、インスタントだがお汁粉にも入れて、最終的にまた磯部に帰ってきて、最後は大根おろしで今日は終わりにしようということになった。
 餅を食べるなんて実家を出てからほとんどなかったけれど、白澤探偵事務所に来てからは必ず年末年始に食べている気がする。和菓子屋で餅の予約ができるなんて、きっとここに来なければ知ることはなかっただろう。
「じゃあ、またお使いの日があるってことすね?」
「そうだね、今回みたいにお客様のところまで鑑定の物を取りに行ってもらおうかなと思っているんだけど……そろそろ物が多くて鑑定が追いつかなくなりそうだね」
 年の瀬が近づくと、白澤探偵事務所は俄かに忙しくなる。師走というのはまさにこういうことかと思うほどで、鑑定したり鑑定の済んだものを倉庫まで運んだり、荷物を出したり受け取ったり、新たに依頼のあったものを取りに行ったり返しにいったりと日々が目まぐるしく過ぎていく。
 正直、仕事量の多さにくたびれてはいるが、忙しいとその分仕事が片付いていくのが楽しくなってきたところだ。自分で言うのもなんだが、そんなに仕事に熱心な方でもなかった俺がこうなるあたり、この仕事が俺自身に合っていたのだと思う。
「まだ増えそうなんでしたっけ?」
「うん、少し気になる依頼があって野田くんに相談しようと思っていたんだ。業務の話になるけれど、今してもいいかな?」
「全然構いませんよ、今日は外の用事で白澤さんとあまり話せませんでしたから」
 白澤探偵事務所は、所長である白澤さんと俺だけで業務を回している事務所だ。忙しい時期は片方が出かけていたり、鑑定で忙しくしていたりでどうしても顔を会わせる時間が減ってしまう。今日も朝早くから出かけて夜に戻ってきたから、朝顔を見たきりだった。
 この時期は業務外でも打ち合わせの時間を取ることが多いのだが、白澤さんは毎回仕事の話だと前置きをしてくれる。疲れて話に集中できないときは中断させてもらおうと内心思いながら、白澤さんの声に耳を傾けた。
「蔵の中身をすべて処分したいというご依頼でね。家じまいをするから、直接家の方に来て作業をしてほしいというお願いなんだ」
 家じまいというと、もともとあった家自体を無くしてしまう、という意味だろうか。掃除や片づけで済まない規模となると、確かに蔵の中身は処分に困るだろう。
「依頼主のご親類に当たる方から白澤探偵事務所を頼るように言われたらしい。その方は随分前に亡くなったらしいんだけど、蔵を閉じるなら必ず頼むようにと言い残してくれたそうだよ」
 白澤さんは微かに目を伏せた。それからすぐに顔を上げ、俺の顔をじっと見る。
 その仕草が何となく気になった。
「忙しい時期だから、いつ行くか決まるまで少し待ってほしいとお伝えしてある。野田くんはどう思う?」
「俺ですか? まあ、どこかで都合をつけて行く形にはなるでしょうから……それなら早い方がいいのかなって思いますけど……」
 何が気になったのだろう、と考えてみる。白澤さんから伝えられた仕事の内容が気になったわけではない。蔵を閉じるなら必ず白澤探偵事務所を使うようにという伝言が気になるわけでもない。
 では何が、と考えて一つ思い当たった。
 その伝言を残した人は亡くなった、と白澤さんは言っていた。その人は一体どこで白澤探偵事務所を知ったのだろう。もしかしたら、ずっと昔に白澤さんと会ったことがあるのかもしれない。会っていなかったとしても、何か縁があって白澤探偵事務所を知った人であるはずだ。
 もしそうだとしたら、白澤さんはあの人だとすぐに思い出せるだろう。何しろ、俺よりずっと長く生きているのだから。
「……じゃあ、もう少し日が伸びてからはどうすか? 日暮れが早いと、日中の作業時間もあんまり取れないですよね」
 かつて知り合った人間がもうこの世にいないと知った寂しさが、白澤さんにそうさせたのではないだろうか。俺の過分な想像だと思う。けれど、それに触れるのはよくないと思った。踏み込みすぎのような気がしたのだ。
「今は日が出ている時間が短いからね、細かい日程は調整しておくよ」
 目の前にいる白澤さんからは、すでにさっきあった寂しさの気配はなくなっている。さっきありましたよねというのもおかしいし、きっとこれでよかったのだろう。
「お願いします。俺は、そうですね……白澤さん、かぼちゃ食べたいですよね?」
 日が伸びてくるのは冬至が過ぎてからだ。冬至と言えばかぼちゃ煮というのは知っている。仕事の忙しさで準備が間に合わなかったが、白澤さんはこういう季節の食べ物を好んでいるところがある。
 白澤さんは言葉にせず、ただにっこりと微笑んだ。食べたい、という返事なのは見ればわかる。こういうのは、俺でも十分満たせているはずだ。
「おもちを予約している和菓子屋さんに小豆を分けてもらう約束をしているんだ。野田くんならおいしく作れると期待してるよ」
 これもすでに手を打っていたらしい。やられたと少し笑う。
「……がんばります」
 いつまで作ることができるだろうと一瞬考えて、すぐにやめる。そんなことより先に、かぼちゃの煮物の作り方を調べなければならない。期待を裏切ることは、できればしたくなかった。