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【小説】#3 怪奇探偵 白澤探偵事務所 | 見覚えのないプレゼント

あらすじ:野田が倉庫と戦い続け約一か月。白澤のため込んだ蔵書の整理がようやく終わり、残りは廃棄処分の品々をまとめるだけとなった。廃棄処分の品々の中にプレゼントらしい包みを見つけ、作業を中断して開けてみるとポラロイドカメラが入っていた。見慣れぬカメラに触れる野田と覚えのないプレゼントに困惑する白澤、試しに撮ってみた写真には……。

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 窓を開け放つと、ビルの隙間から青空が見える。三階の倉庫を片付けに片付けてようやくたどり着いた空は、たとえ新宿の薄灰色の空であったとしても眩しく見えた。
 壁に取り付けた棚の耐震補強を終え、床に積んであった本をひたすら片付けてようやく部屋の中を自由に歩き回れるようになった。書類もあらかた片付け終え、残りは部屋の一角に集められた雑貨やよくわからない物の廃棄処理だけだ。
「見事だね」
「どうも」
 倉庫に物を詰め込みに詰め込んだ本人はと言えば、広くなった倉庫を見るのが楽しいらしく、業務の合間に三階へよく見物に来る。時折雑貨の山から何かを拾い部屋へと持ち帰っている様子を見るに、あの妙なコインのような、変なものも混ざっていたのかもしれない。
「オーナー、このあたりの荷物はどうします?」
「全部廃棄で構わないよ、可燃と不燃に分けて……あとは処分を依頼すれば終わりかな」
 可燃と不燃に分けるだけならそう難しくはないだろうが、一見きれいな陶器や使えそうな椅子まで捨ててしまうのは少しもったいない気もする。廃棄というのだからオーナーのいうことに従ってすべて廃棄するけれど。
「じゃ、午前中で片付けておきますね」
「よろしく、私は一階に居るから何かあったら呼んでくれ」
 階下へ降りていくオーナーの背中を見送り、全て廃棄とされた一角へ立つ。これが片付けば倉庫の清掃業務は完了だ。
 三週間、いや、もうすぐ一か月経つのだったか。一階の事務所、二階の居住区がさっぱりと片付いている代償とばかりの地獄を見た。長い闘いだった。掃除の合間に猫探し、掃除の合間に書類整頓で過ごした約一か月だったが、これでようやく掃除との戦いに決着が付きそうだ。
 手に取れる範囲の箱を片っ端から開いていく。割れた陶器がぎっしり詰まった箱から陶器と箱を仕分け、古臭いぬいぐるみがぽつんと入っていた箱を潰し、ぬいぐるみを可燃の袋へ放り込む。仕分けは迷ってはいけない。清掃バイトで学んだことが役に立った。害虫が出ないことと、バイト使いの荒い人間がいないだけで随分楽しい仕事になることは初めて知ったが。
 使えそうに見えた椅子は足が折れていて、箱の山に支えられてようやく立っているような状態だった。椅子は工具でばらすために一度どかし、支えていた箱を片付けていく。
 箱はほとんど空で、何も入っていない。靴が入っていたらしい箱が多い。オーナーは洒落てるからな、なんて思いながら空箱をつぶしていく。
 ふと、空箱と空箱の隙間にラッピングされたプレゼントらしきものが目についた。掴んで引っ張り出す。ラッピングを開けた形跡はなく、軽く振ってみると中から音がする。中身があるらしい。
 恐らく誰かから贈られたもののようだが、オーナーは中身を確かめただろうか。さすがに未開封のものを捨てるのは憚られて、後で確認しようと一旦避けておく。こちらの判断で捨ててトラブルなんて二度とごめんだ。
「野田くん」
「あ、オーナー」
「粗大ごみの回収日なんだけど……おや、何だいそれ」
 今日中に片付くのを見越したオーナーがタブレット片手に三階へ来て、俺の手元にある箱を見て首をかしげる。どうやら見覚えのないものらしい。椅子の下に置きっぱなしだったものだから、記憶にないのも当然のような気がする。
「そこの椅子の下から出てきたんですよ、一応捨てる前に確認してもらえます?」
 ラッピングを開け、包みを可燃ごみの袋へ捨てる。黒い箱が出てきた。箱を開くと、緩衝材に包まれた別の箱が出てくる。緩衝材を剥き、ようやく出てきたのはカメラのパッケージだった。
「……プレゼントされたものですかね?」
「貰い物だったかな……記憶にない……野田くん、遊んでみていいよ」
「えっ、いいんですか」
 思わぬお下がりについ感情を声に出してしまった。未使用のそれを捨てるのはもったいないと思っていたとはいえ、貧乏性のようで恥ずかしくなってしまう。覚えていなかったということはそういうことだし、なんて後押しをされてしまうと、へらりと笑ってしまう。もらえるものはもらっておく主義なのだ。
 倉庫にある小さなテーブルへパッケージをおいて開封する。中には手のひらより一回り小さな正方形のカメラが収まっていた。他にはバッテリーと充電ケーブル、説明書の類が入っている。説明書が英語で全く読めない。それと一緒に、黒いプラスチックのケースが入っている。説明書が読めないから、これが何のパーツかわからない。
「ポラロイドカメラだね」
「……ポラロイドカメラ」
「使ったことないかな、ちょっと貸してごらん」
 カメラをオーナーに手渡す。オーナーはカメラを片手に説明書を広げ、両面をじっくり読んでからカメラをくるくると回した。正方形の本体に、操作パネルとレンズがついている。側面には直線状の隙間みたいなものがあって、何に使うものなのか見当がつかない。
 操作パネルの横にある突起を押すと、パネルがぱかりと開いた。そこにバッテリーをぎゅっと詰め、閉める。電源ボタンを押すと、パネルにうっすらとアイコンが浮かんだ。
「充電、生きてるもんですねえ」
「満充電で出荷されてるのかもしれないね」
 次は側面にある突起を押す。操作パネルとバッテリーのあった部分が開いて、少し驚いた。中は空洞で、内側からレンズが覗けてしまう。
「ここにさっきのフィルムを嵌める、と」
 謎の黒いプラスチックのケースが内側に収まり、ぱちんと音を立てた。きっちりはまりました、という感じの音だ。再び蓋を占めると、低い駆動音と共に側面の隙間から黒いラベルのようなものが吐き出されてきた。何か、カバーとか、保護シールみたいなラベルだ。
「野田くん、適当にシャッター押してごらん」
「あ、はい」
 手渡されたカメラを受け取り、倉庫の中でなるべく明るくてきれいな部分へレンズを向ける。スマートフォンのカメラで何かを撮るということはあるけれど、カメラを使ったことは少なくていまいちよくわからない。
「本体の上の方に透明な窓があるだろう、覗いてみて」
「窓……ああ、これか」
 本体を自分の目線に持ち上げて、窓の部分を覗き込む。なるほど、カメラのレンズにこれが映るということらしい。片付けた倉庫の一角、壁に取り付けた本棚をレンズ越しに見る。とにかく並べただけで雑然としている棚だが、片付いているのはここくらいだ。
「ファインダーっていうんだ、あとは右上にあるシャッターを押して」
 覗き込んだまま指先で本体を撫でれば、言われた通り右上にボタンらしき突起がある。ぐ、と押し込むとぱしゃりと音がした。撮れたらしい。さっき聞いたのと同じ低い駆動音がして、側面から白い紙が出てきた。
「撮ったらその場でフィルムに現像されるんだ、しばらく見てて」
「はあ……」
 白い紙をじっと見つめる。よく見ると、紙というにはつるつるしすぎているし、白い枠のような部分がある。指で触ってみると、プリントした写真の感触に似ている。これがフィルムらしい。
「すこし前に流行ったんだよ、これでいつでもどこでも写真が現像できるから」
 現像という言葉はぴんとこないが、スマートフォンやガラケーが流通するより前の話だろう。オーナーが言うすこし前はわかるが、ほんの少しだけこの人はいったい何歳なのだろう、と疑問が浮かんだ。勝手に年が近いものだろうと思っていたから驚いてしまった。年上にしても、すこし前に流行ったものが好きとか、そういう感じだろうか。別にわざわざ聞くことでもないけれど。
「ほら、フィルムの淵から浮かび上がって来ているだろう」
「……おお?」
 さっきは白かったフィルムの内側にじんわりと薄く色が浮かび上がっている。そのままじっと見つめていると、高さがばらばらの本、よく見たら置きっぱなしだった掃除道具のバケツとほうき、それと窓から差し込む光が徐々に見えてきた。見たままというわけではないが、さっき撮ったものがすぐに現れるというのは、何というか。
「楽しい」
「適当に撮ってみたらどうかな」
「じゃあまずオーナーを!」
 私なんて撮らなくても、といいつつオーナーはぴたりとカメラを見上げたまま動かなくなる。撮りやすいように気を使ってくれているらしい。ファインダーを覗いて、シャッターを押す。
「野田くんのことも撮ってあげようか」
「いや、それは……」
 オーナーの伸ばした手にゆっくりと首を振る。写真は苦手だ。勝手に撮られることが多すぎたし、客観的に傷跡がはっきり残った顔を見るのはなかなか居心地が悪い。
「冗談だよ、フィルム持っていてあげるから」
「あ、どうも」
 じんわりとオーナーのシルエットが滲みだしたフィルムを預け、ファインダー越しに覗いた倉庫のものを撮る。とはいえ、本棚と雑然とした場所を撮るのも限界があり、割れた陶器を並べ替えて遊んだものとか、一度可燃袋に入れたぬいぐるみを出してきて空箱の上に乗せたりだとか、そんな風にして遊んでいるうちカメラ本体がピー、と電子音を鳴らした。変なところ触ったかな、と少し驚く。
「ああ、フィルムがなくなりかけているのかも」
「フィルムが……」
「スマートフォンで撮るのと違って、何枚までって決まってるからね」
 オーナーに本体を預ける。画面の表示を見るに、フィルムが残り三枚になるとお知らせ音がなる仕組みらしい。
「さっき撮ったフィルム、きれいに色が出ているよ」
「写真っぽくなりますねえ」
 最初に撮った本棚の写真は、さっき見た時よりずいぶん色がくっきりしている。現像にはすこし時間がかかるものらしく、オーナーの隣に椅子を並べて座った。小さなテーブルをはさんで座ると思いのほか距離が近いが、まあ仕方がないだろう。
「へえー……」
 本棚の写真、オーナーの写真、倉庫全体が映るように背伸びをして撮った写真、と順番に見ていくうち、フィルムの一部に違和感を覚えた。
 本棚を見る。写真を見る。また本棚を見る。写真の一部に目が吸い寄せられるようだった。そこにあるはずのないものが、写真に写っている。
 次に撮った写真を拾い上げ、目を凝らして見つめる。その次も、その次も、その次にもあるはずのないものが写りこんでいる。本棚の本と本の間に、オーナーの指先に、割れた陶器の影に、ぬいぐるみの頭の上に、文字が浮かんでいるのだ。
 全身にぞわりと鳥肌が立つ。ないものがそこにあったように残るというのは、不気味だ。
「野田くん?」
「写真に文字が写ってて……」
「文字?」
 オーナーは訝しげに俺の顔を見る。嘘じゃない。本当なんです、と言う代わりに、最初に撮った写真をテーブルにおいて、文字を指さした。
「一枚じゃなくて、こっちにもあって……ええと、てぃび、まぐ……」
 文字が小さく掠れ、読めない。写真を手元に寄せようとしたところで、オーナーの手が俺の口を押さえた。突然触れた人間の体温に驚き、写真を寄せる手を止めてしまう。口元を押さえる手の先、オーナーの表情を窺えばあの変わったコインを探していたときのような金目に見つめられている。
「野田くん、読み上げちゃいけない」
 こくりと頷き、オーナーの手から解放される。突然顔を掴まれると、結構びっくりする。殴られるのかと思った。
「撮った順番に並べてみてくれるかな」
「…………」
「あ、もう喋っていいよ。驚かせてすまない」
 ほっと胸をなでおろし、写真を撮った順番に並べ直す。写真は全部で七枚あり、そのうち六枚に文字がある。それぞれの文字のある部分を指させば、オーナーはそれらの文字列を見て小さく手を打った。
「呪文だ」
「じゅもん」
「これを全部繋げて唱えると、何というか、よくないことがある」
 オーナーはカメラを手繰り寄せ、電源を入れて適当にシャッターを切った。八枚目のフィルムには文字がない。じんわりと、オーナーが写した空間が現像されてくるだけだ。
「このフィルムを使って写真を撮った人たちが疑問に思って口に出すのを狙ったんだろうね」
「……これ全部読んでたらどうなってたんですか?」
 オーナーは文字の映ったフィルムをすべてまとめ、自分の手の平に収めてしまう。言おうか言うまいか迷っているような沈黙だった。唱えるとよくないことがある呪文を半端に唱えてしまった本人に言いづらいということは、と考えて背中に冷たい汗が伝う。鳥肌がぶわりとぶり返してきた。
「野田くん、大丈夫だから。写真は燃やしてしまおう、火を使うから一緒に見ていてくれるかな」
「わかりました」
 写真は少し惜しいが、恐ろしい呪文が書いてあると聞いて残して置けるわけもない。オーナーの写真は、少しだけ惜しい。なんというか、雑誌の切り抜きみたいだったから。
 写真を片手にリビングのある二階へ降りる。オーナーは自室へ入り、灰皿とライターを片手に戻ってきた。今まで気が付かなかったが、煙草を吸う人であったらしい。部屋に匂いがないから気が付かなかった。
「カメラと残りのフィルムは大丈夫だと思うから、そのまま野田くんが使って構わないよ」
「ええ……本当に大丈夫なんすか、あれ……」
「大丈夫、八枚目に文字はなかっただろう?」
 もしまた出ても言わなければいいわけだから、とオーナーは特に気に留めていない様子だ。探偵は肝が据わっている。俺はまだ一般人だ。
 シンクに灰皿を起き、写真を並べる。オーナーが一枚ずつに火をつけていく。嗅ぎなれない匂いが鼻を突く。換気扇のスイッチをつけた。煙が吸い込まれていく。
「フィルムはまた買えばいいから」
「まあ、使えるんならそのまま使いますけど……」
 ぱちぱちと音を立て、一枚ずつの小さな火が集まって繋がっていく。本棚の写真が歪む。オーナーを写した写真もまた、歪む。炎で歪んでゆく中に、うっすらと白いもやのようなものが見えた気がしたけれど、化学反応か何かだろうか。匂いが残らないといいな。せっかくきれいな部屋なのに。そこまで考えて、倉庫の片付けが途中であったことを思い出す。
「写真がもう大丈夫なら、俺、片付けに戻ります」
「後は何が出てきても捨てていいから」
「わかりました」
 さすがに二度目の変なものは避けたい。迷わず可燃か不燃の袋に叩き込む決意を立てて、三階へ戻ることにした。倉庫の片付けが終わるのは、どうやら午後になりそうだった。

 昼休憩を挟んでどうにか倉庫の片付けを終え、三階から出た粗大ごみが回収されてゆく。走り去るトラックが見えなくなってから事務所に戻れば、時刻はもうすぐ十八時を指している。終業間近だ。
「野田くん、お疲れ様」
「やっと終わりましたねえ」
 机についていたオーナーがにっこりと微笑む。助手の仕事はまだろくにできないが、職員として整理整頓に勤めることはできた。強敵だったが、なんとか完遂できてよかったという満足感でいっぱいだ。
「伝えるのを忘れていたんだけど、今日は給料日でね」
 引き出しから封筒が二つ出てくる。給料日に封筒が出てきて、わっと気分が高揚しない労働者はいないと思う。思わず背筋をぴんと伸ばしてしまった。
「来月からは振込になるから、口座を確認するようにね。こっちの封筒は野田くんの部屋に使う鍵」
「鍵?」
「プライバシー保護だよ、内側からかけられるから必要なときに使って」
 必要なとき、部屋に入られたくないときと考えればまあ夏に素っ裸で寝ているときとかだろうか。使う機会のために、一度施錠の練習をしておいたほうがいいだろう。
「こっちはお給料。来月からは一緒に出掛けることも増えるだろうから、引き続きよろしく」
「ありがとうございます、こちらこそよろしくお願いします」
 お互いに深々と頭を下げ合ってしまい、どちらともなくくすりと笑った。居心地の良い職場というのはこんなに働き甲斐があるものなのかというのは、この一か月で何度考えたかわからないほどだ。
「あの、一つ聞きたいんですけど」
「何かな」
「……リビングに俺のもの置いてもいいですか?」
 生活をしてみて、他所の家にお邪魔しているという感じがまだ拭えないのだ。自分の場所というか、そういうものが置ければ多少変わるかもしれないと考えていた。
「君の家でもあるんだから構わないよ、気にしないでどんどん使いなさい」
「……わかりました、じゃあちょっと買い物いってきます!」
 初任給の入った封筒を引っ掴んで事務所を出て、夜の新宿を歩く。一か月はあっという間だった。こなした仕事は多くないが、この仕事をオーナーと続けていけそうな気がしている。
 大きな通りへ出れば、赤と緑のイルミネーションが眩しい。もう目前に迫ったクリスマスを感じる街の賑々しさや、浮かれた音楽が今日はそこまで気にならない。イルミネーションを見上げて歩くのは、ほんの少し楽しかった。

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