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【小説】#3.5 怪奇探偵 白澤探偵事務所 | 見覚えのないプレゼント | 閑話

 助手の募集を始めておよそ一年、ようやく採用した野田くんが入社して一か月経つ。勤務態度は勤勉で真面目、生活空間を共にしてトラブルもなく現状は安定している。何より、片付けが得意なのが素晴らしい。料理も上手い。段取りが良いのだろう。これでなぜ職を転々としていたのか、疑問に思っている。
 しかし、今日は焦った。
 倉庫に眠っていたというポラロイドカメラのフィルムにあった呪文は唱えてしまえばその場にいる人間すべての命を奪うような代物だった。あんなものを贈られたかと言えば記憶にないし、かといって仕事で回収してきた覚えもない。あるとすれば勝手に送り付けられたくらいだが、私ひとりであれば倉庫から見つけて写真を撮るなどはしなかっただろう。たまたまそうなってしまった、事故に近いものだった。
 事故とはいえ、そういうものを見つけてしまうのが野田くんの持つ性質だというのは初対面のときにわかっていた。次元を歪めるコインなんていうのも、普通であればあまりお目にかかることはない。彼が怪奇に遭遇しやすい性質を持つだろうことは想像に容易かった。
 警戒が足りなかったことを自省している。今は己の身だけではなく、野田くんの安全も預かっているのだから、所長としてしっかりしなくては。何より、これからは一緒に現場に入ることも増えてくる。より気を付けなくては、と小さく決意を固めた。
「ただいま戻りましたあ」
 おかえり、と声に出しかけて、玄関を段ボールが占拠していたので途中で声が詰まってしまった。大きい箱だ。抱えて長時間持つのは厳しいのでは、と思うがここにあるのだから野田くんが持ち帰ってきたものである。
「初任給、開けてびっくりしちゃいましたよ! 俺、今月書類仕事と掃除しかしてないのに……」
「今後は一緒に現場に行くことも増えるから楽しみにね」
「あはは、お手柔らかにお願いします」
 冗談を交わしつつ、野田くんの開封作業を見守る。段ボールの側面には見慣れた赤いロゴと、人をダメにするクッションという文言が並んでいる。人をダメにする。ダメにするとは、どのように。
「今置いてあるソファー、俺が座るとぎちぎちになっちゃうなって思って」
 段ボールを開ける。白い塊が転がり出てくる。もちっとしたシルエットがとても柔らかそうなクッションだ。別の袋からグレーのカバーが出てきて、おもちのようなクッションが内側にしまわれていく。四隅を留め、ジッパーをしめ、感触を楽しむように弾ませる野田くんの表情がやわらかで、見ているだけで和んでしまった。
「あ、白澤さん……段ボールのごみってどこに片付けておいたらいいですか?」
「とりあえず三階かな」
 普段そうしているから、と付け足せば野田くんは朗らかな表情から一転、どこかあきれたような顔になる。何かおかしいことを言っただろうか。
「白澤さん……三階がクッチャクチャなの、全部三階にあげちゃうからですよ……」
「……そうかもしれないね?」
 明日資源ごみの日だから一緒に捨てちゃいますね、と野田くんは玄関に資源ごみをひとまとめに置いてしまった。可燃、不燃、資源ごみの日をすぐに覚えられるというのはある種才能だと思う。私はと言えば、可燃以外の日は少しあやふやだ。
「これを、こう、転がして」
 ごみをまとめ終えた野田くんは、買ってきたばかりのクッションをリビングの中央にあるテーブルの傍へ転がし、床に座ってすっぽりとクッションに体を埋める。体が大きいからすべてを埋められるわけではないが、上半身の体重を丸ごと預けられるだけでも楽だろう。
「気持ちいいかい?」
「めっ……ちゃいいです……」
「ダメになる?」
「なるかも……」
「……あとで私も沈んでみてもいいかな」
「いっすよ、……白澤さん丸ごと飲まれそうだなあ」
 シェアしましょう、シェア、とゆるゆると手を振る野田くんはすっかりリラックスした様子だ。なるほど、私の座る場所が狭いかもとか、そういう気を使ってくれていたのだろう。気付いてあげられなかったのは申し訳なかったな、と思う。
「寝そう……」
「風邪をひくよ」
「大丈夫っすよ」
 昼間の疲れが出たのかうとうとと瞬きをする様子を見ているとふと笑みが漏れる。一人で居た時にはなかった感覚だ。
 テーブルの上にある件のカメラが目について、拾い上げた。フィルムは残り二枚。野田くんの写真を撮ることを今なら許してもらえるかな、と考えてのことだ。
「野田くん、やっぱり撮っていいかい」
 ファインダー越しに尋ねてみれば、クッションに顔半分を埋めた彼が笑っている。
「今ならいいっすよ」
 野田くんの指先がゆるいピースを作っている。クッションに埋まっているのは、傷が残る頬だ。シャッターを切る。フィルムには何の文字も浮かび上がらない。
「後で白澤さんも撮りましょうね」
「私はいいよ」
「後で」
 有無を言わさない雰囲気にまた笑ってしまった。自分だけ、というのが嫌らしい。
「野田くんが起きたらね」
 うん、と小さく返事があって、そのあとは寝息しか聞こえない。さて、フィルムを使い切る前に新たなフィルムを注文しておかなくては。こういう撮り合いが楽しいというのは、初めて知ったことだから。