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僕に語れることはあるのだろうか?:映画評「私はあなたのニグロではない」

Black Lives Matter運動の激しさを見て、妻が「黒人差別について勉強したいから」と言うことでレンタルして観た作品。
黒人作家ジェームズ・ボールドウィンの視点から、交流のあったメドガー・エヴァース(ミシシッピの黒人運動の指導者)、マルコムX、キング牧師に関する回想を交え、黒人差別について振り返る形式のドキュメンタリーです。

メインとなるのはメドガー・マルコムX・キング牧師が暗殺されてた(!)60年代。
その時代を振り返るボールドウィン自身の「言葉」(作品や講演等からピックアップし、サミュエル・L・ジャクソンが語ります)だけで構成されていながら、映像には現代(製作は2018年。ボールドウィンは84年に亡くなっています)の差別や暴動のシーンも使われていて、ボールドウィンの問題意識や絶望感が、「今」にもつながっていることが明示されています。

黒人差別が「社会的システム」に組み込まれていること。
黒人自身もそのシステムの束縛にあること。
そのシステムは白人が<事実>ではなく<恐怖>から生み出し、維持しているものであること。
無知と先入観がそのシステムを白人たちに<不可知>なものにしていること。
そのシステムの中で黒人たちは自分自身の存在さえも脅かされていること。
etc、etc...

まさに今の「Black Lives Matter」運動の根本にあることが、すでにボールドウィンによって語られていること
それでも今なお、それは解消されていないこと
が本作を見ると浮き彫りになります。
例えばこんな記事。

https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_5ed97378c5b69d703f385dd4

https://www.huffingtonpost.jp/entry/unwritten-rules-black-man-follow_jp_5edb3ee5c5b6a80a46d465f7

まさに、まさに。

暴動騒ぎになっている一面をとって、
「破壊活動まで行ってることを人種差別で説明しちゃうポリティカル・コレクト」
とか言う人の発言(日本人)をネットで読んだりもましたが、その問題意識が決定的にズレていることを痛感させられます。
…と言うか、何でもPCに繋げちゃうこと自体が、現状に対する「思考停止」なんじゃないですかね。(そもそもはPCに対してそう言う異議申し立てがされてたんですが、最近は逆になってきてるように感じます)

僕自身は「Black LIves Matter」運動に関しては、そのベースにあるエッセンシャルワーカーの問題や格差問題から一定のシンパシーを感じているんですが、本作を見ると、その僕のスタンスの「甘さ」「薄っぺらさ」も突きつけられたように感じたりもします。

「語りえぬものについて、ひとは沈黙しなければならない」(ヴィトゲンシュタイン)

ただそのスタンスそのものが、社会システムの抑圧を不可知にしている面も間違いなくあるでしょう。
日本においてもね。(格差、貧困、男女、外国人etc,etc...)

<向き合っても変わらないこともある。
だが向き合わずに変えることはできない。>(ボールドウィン)

Black Lives Matterは、まさにこの「向き合う」ことを求める運動なのだと痛感させられました。
そのことを認識した上で「語るべき」であり、そのことを知らずしては「沈黙する」しかないのではないか、と。

本作は相当「黒人差別」「公民権運動」に関する事前知識が必要なので、結構見るのはキツかったですけどねw。
でも観終わった後の、「ズーン」とした感覚もまた、格別でした。
「歴史」じゃないんだよね。
「今」なんだよ。

#映画評
#私はあなたの二グロではない

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