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シャッターを切らなければいけないと思った、熊本県・球磨川周辺

なかなか報道されない現状を1人でも多くの方に知って頂きたいと思っていますので、近くの方にでもシェアしていただけると嬉しいです。
短期的な支援では、復興はなかなか難しいということ。必要な支援は経過時間と復興状況で異なります。本当の復興には長期的な支援が必要で、そこには必ず資金が不可欠になります。最後に球磨川周囲に資金援助ができるリンクを貼りました。
最後まで読んでいただけたら幸いです。
【2020年8月1日に記載した記事を再度、構成し直しました】

私の故郷ではないが、私にとって大切な場所になっている熊本県。2016年に熊本地震後、益城町の現地に足を運び、2020年に益城町と九州豪雨水害の現場である球磨川周辺に足を運んできた。

百聞は一見に如かず

報道されることはどうしても、ごく一部にしか過ぎず、他のニュースが入ってくることで報道時間が短くなりやすく、時間経過とともに報道される頻度が減るとまるで「もう大丈夫な状態まで復興したのかな?」と誤解を招きやすい。なので、私の目に映ったものに小細工を入れず、耳にしたことを代弁し、リアルを届けられたらと思い、ここに綴ることにした。


2020年7月 九州豪雨 球磨川の氾濫

豪雨災害の直後。友人のSNSを通して知った現場の状況と、私が目にしているTVの報道には違いがあった。報道されている内容は、ほんのごく一部で、どのチャンネルもほぼ同じ映像しか流れていない。しかし、どちらもリアルな現場の状況には間違いはない。

2020年7月27日。私は人吉ICを降りて、まず始めに相良村を訪れた。
どうやらここは田んぼが多く、それらは川沿いに面しているようだった。しかし、私が知っている田んぼの風景とは雲泥の差で、稲穂がない場所が多く、代わりに一輪車や流木が無造作に存在していた。

稲穂は濁流に飲まれ、姿を消していたのだ。

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用水路を形成しているコンクリートは途中から破損していた。破損したものの行くへは田んぼの中。至るところで本来とは向きを変え、存在していた。

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用水路や道路を塞いでいた流木や生活用品は道に沿って列をなしていた。

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相良村を後にし、人吉駅周辺へと向かうことにした。
人吉駅周辺間近になると、道路の亀裂や車の往来も多くなったが、ほとんど泥や被災した処分品を積んでいた。

この日も被災地には強い雨が降り続けた。

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川の中にはガードレールが存在し、河川敷沿いには家屋から出たであろう処分品が長蛇の列を成していた。確かにもう、使えないものかもしれない。でも被災者にとっては思い出も詰まっている。だから、一括りに、簡単に「がれき」と呼んではいけない。

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報道されていた橋に向かった。近くでは、ライフラインが止まった状態でも営業を続けていた個人経営のコンビニエンスストアがあった。そこで経営を営む男性に少しお話しを聞かせていただいたところ、腰の辺りまで浸水し、電気系の設備が全て壊れているので、常温保存ができるものしか取り扱えていないと話してくれた。

ちょうどお昼前の時間だったので、必要な食糧と久々に食べるブラックサンダー(チョコスナック)を購入した。ブラックサンダーはやはり、溶けていた。

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最近開通したばかりの道は、かろうじて車が一台通れる幅しかない。慎重に車を走らせた。枝木を避けようとすると、反対側のガードレールに当たりそうになる。

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人吉駅周辺から球磨川沿いに球磨村を目指し、車を走らせた。球磨村への道は最近開通したばかりだそうで、やっと復興作業が始まったと聞いている。
球磨村に近づくと景色は一変する。

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私が立っていた場所は、公道。その公道側から撮影した。山から流れてくる泥水が容赦無く、私の足元に流れ続ける。ここは元々、川ではなかったと思う。

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球磨村役場から撮影。現在は落ち着いている球磨川の水位と、河川敷沿いに立ち並ぶ家屋との距離は、これほどまであった。だからこそ、浸水してくる恐怖は計り知れないと思う。一見、家屋の破損があまりないように感じるが、よく見れば二階の窓と周囲の壁は消えている。

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公道のちょっとした駐車スペースだったと思われる場所。ガードレールが途中でないのは、水の勢いに道路ごと破壊されたから。角度を変えれば、道路下にガードレールがあることに気がついた。

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建設中の橋ではなく、柱の部分だけが残った橋。その土台の上には流木が乗っている。

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撤去作業の際に出た土砂などを運ぶ大型トラックの列。全て熊本ナンバーなのは、今も県外からのボランティアを公には募集できていないことを物語っているのか?

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現場は致命的な人手不足だと感じた。復興のボランティアが初心者の私は、活動されている人々の行動を見様見真似で、道を塞いでいる枝木の撤去作業をした。雨が降ったり、止んだり。

雨が強くなってきた頃、ボタンティアさんの1人が「雨が強くなってきたからちょっと休憩しようか」っと声をかけてくれた。顔を上げ、周囲を見渡してみたところ、自分の親よりも高齢者の県内ボランティアさんが、泥の撤去作業を大きなスコップを持って作業していた。

この日の数時間しか滞在できない私が、休憩するべきなのか迷い、体力も気力も有り余っていたので、休憩の促しを断り、作業を続けた。

下水設備が破損し、ライフラインが止まっている現場は、雨が降っているにもかかわらず、着用しているマスクを通り抜けて悪臭を感じた。雨で湿度は高く、作業の手作業や力仕事はただでさえ息が上がる。マスクを外し、空気を吸わないと息苦しかった。この場所ではないが、ボランティア活動をする中で、肺に菌が入り亡くなった方がいたというニュースを聞いたことがある。

現場を離れなければならない時間になったので、家主さんや御近所さんにその旨を伝えると、十分すぎるほどのお礼を言われた。ご近所さんは、クーラーボックスから飲み物と綺麗なタオルをお礼の言葉と一緒に私にくれた。

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数時間しか居れられないもどかしさと、作業の進行が物凄くゆっくりなことに無力さを感じつつ、球磨村を後にし、芦北高校へ向かった。


長期的な復興支援には必ず資金が必要である。

私が熊本でサッカーをしていた頃のチームメイトが所属する「熊本ルネサンスフットボールクラブ」彼女たちは、練習の合間に個々または、チームで現地に向かい復興活動のお手伝いをしている。

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日頃からトレーニングを積み重ねている彼女たちでも、この状況下での作業は安易なものではない。熱中症になりそうな恐怖を感じたようだった。

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県内大学生達による住宅復興ボランティア支援を受けた被災者は、体力と気力がある若者の達の力に「大学生達が神様のように思えた」と話したそうだ。

きっと、彼女たちの活動も多くの被災者たちの力になっていることは間違いない。

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その彼女たちの次節ホーム戦では、募金活動を行う予定だそうだ。彼女たちの勇姿を見るためにもぜひ、会場に足を運んでいただきたいと思う。

2020/09/27(日) 11:00 Kickoff
試合会場:嘉島町総合運動公園人工芝G(熊本県上益城郡嘉島町下六嘉1564)
対戦相手:東海大星翔高校

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
下記のリンク先から今回私が訪れた地域(相良村、人吉市、球磨村)に直接、義援金を送ることも可能です。
熊本県・相良村
熊本県・人吉市
熊本県・球磨村


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