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欲しくないのにApple Watchを買ったはなし


腕時計が好きだ。
自分では買わないくせに知識ばかり蓄えて、仕事の取引先が良い時計をつけてたりすると「格好いいですね!IWCですか??」なと声をかけて話が盛り上がったりしていた。

僕自身は絶対にハマると破産するとはっきりわかっていたので(財産を注ぎ込んでオメガとか買ってしまいかねない)国産の時計しか買わないと決めて、あれこれ時計を集めたりして遊んでいた。

そんな中でApple Watchだけは「あんなものは時計じゃねえ」みたいなスタンスでいて、極端な言い方をすれば嫌悪の対象だった。ほんとうにApple Watchをつけている社会人が増えた。心底つまらない。
本当につまらない。猫も杓子もという感じだ。話が全然広がらないのだ。つけているものが同じなので。もちろんバージョンが違ったり、時計画面が違ったり、あるいはベルトが違ったりしてそこで個性は出るのだろうが、それにしても普段つけていればどれもこれも同じで、はいはい、Apple Watchね、としか言いようがない。
世間でも腕時計をしていないのは論外として(僕が腕時計好きなので、していないと心底がっかりする)どんな時計をつけていようが面白い。100均の時計でも、G-SHOCKでも、鼻につく高そ〜な時計でも、それをなぜ選んだのか、人からもらったのか、お金を貯めて買ったのか、なぜその色にしたのか、聞きたいことが山ほどある。そういうものが手首についているのでコミュニケーションが始められる。それが面白い。



Apple Watchにはそれがないので、やはり退屈だと思う。
なのに、半ば嫌々Apple Watchを買った。支離滅裂のように見えて、しかし必然的に買わざるを得なかった。



一言でいってしまうと、理由は健康のためだ。
僕の場合、体重・栄養バランス・睡眠時の質・血中濃度・1日の脈拍に興味があって、例えば透明な腕輪か何かでそれが計測できるならそれに越したことはなかったのだけれど、どうやらそういうプロダクトはなさそうなので、Apple Watchという結論に至った。


元々はiPhoneのアラームやApple Watchの通知(そろそろ立ち上がって1分ほど歩きましょう)みたいなものは本当に気持ち悪いなと思っていて、Apple Watchそのものが人類に付けられた首輪か、拘束具のように見えてならなかった。Appleに管理されてて、それでいいのか、自尊心とか…。と思っていた。



しかし最近は少し考えが変わってきていて、テクノロジーに一切管理されない自分の自制心ってなんぼのもんじゃいという圧倒的な事実が突きつけられている。結局お菓子は食べちゃうし、運動はしないし、夜更かしして、朝は起きれない、酒は飲みすぎる、栄養バランスはズタズタなのだ。どう考えても首輪をつけられるべきなのだ。少なくとも僕は。



そういうわけで好きでもないApple Watchをつけている。
今さらApple Watchをつけている人が世間に多すぎるので、別に自慢にもならないし、特別かっこいいという感じでもないだろう。それでも健康器具の一種としてしばらく一緒に行動してみようと思う。運動を始めるきっかけになるかもしれないし。




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