和洋の間ー日本語という舞踏
日本で生まれ育ち、フランスに8年住み、フランス人とのハーフの子供を育てていると、どうしたって和と洋の間について考えてしまう。そのうち本にしようとは思うけれど、なかなか思考がまとまらない。とりあえずのメモ。
言語という思考の道具
言葉は思考の道具であり、思考そのものの道筋を前もって作ってしまう。英語とスペイン語はイマイチだが、フランス語なら「これは説得的な論」「これは日本人には説得的だが、フランス語にはならない論」というのがかなりの程度分かるようになった。そんな視点で、明治から大正、昭和の日本の哲学書を読むととても面白い。明治以降、「哲学」という言葉そのものからはじまり、「社会」「個人」「権利」「民主主義」など、今日本語で通用している多くの言葉が新しく作られた。つまり、それまでの日本語になかったので西洋の文化、思考を日本語に取り込もうと翻訳したのである。その過程でカタカナ語のままになったもの、日本語として定着したもの、色々とある。例えば「イデア」などという哲学の根本概念は、よく分からなかったので、そのままカタカナ語にして、受け入れたふりをして、その実「よく分からないもの」としてスルーしたのだと思われる。そして論理、のように日本語になっているものもあれば、「ロジック」と今でも一応同じ意味だが、なんとなく使い分けているものもある。近年とみに就職準備などで言われる「ロジカルシンキング」など、日本語の語彙として「論理的思考」という言葉があるのにも関わらず、とりあえずカタカナ語で言われている。これはつまり、日本語でいう「論理的思考」ではない、何か新しいものが「ロジカルシンキング」にはある、ということである。まあこれはグローバリゼーションの最中で欧米流のビジネス理論を取り入れよう、とすることなのだろうが、それは「論理的的思考」という日本語では表現できないものなのである。
まあ、そんな感じの日本語使用からわかることは、明治以来西欧の思考、論理を日本語に翻訳し、写しとってきてはいるのだが、結局日本語語の中に入ると、別物として意味が変容している、という事実である。
とても面白いのは、明治、大正の日本の哲学者が、西洋を真似て日本語で書いた哲学書が、フランス語に訳すと意味不明なものになる、という事実である。日本語文化圏でのみ通用する言説と、そうでない言説が、くっきりと分かれるのだ。特に「日本的なもの」を日本人が定義しようとする時、大抵は「翻訳不可能なロジック」に触れることになる。これは日本文化がダメなわけでは決してなく、むしろ猿真似的な態度によって隠されてはいるが、その実滅茶苦茶オリジナルな創造的行為が行われている、ということではないだろうか?
ハイブリッド日本思想
そんなこんなで、日本思想のビッグネームの本を読み進めていくと、日本語文化圏が、輸入を拒否した西洋の概念が浮き彫りになってくる。それは儒教システム、仏教システム、神道システムと、キリスト教システム、古代ギリシア・ローマシステムとの対立、反発、さらには融合でもある。その独特の位相、緊張関係と個々の日本人のオリジナルな文化的創造、その相互作用を感じながら、日本思想を読んでいくと、本当に目眩く世界が見えてくる。これはヤバい。それは、ヨーロッパコンプレックスに毒されながら、日本語が変質し、苦痛と責苦の中で、創造的に進化していく過程であるように見える。漱石の苦悩、西田幾多郎の苦悩、九鬼修造の苦悩、小林秀雄の苦悩、丸山真男の苦悩、そして、その苦悩から解放されるための、彼らの言語的実践。
舞踏としての言語
彼らの言語的な探求は、僕には、海外のダンスに触れて、新たな動きを日本舞踏に取り入れようとする、傾奇者の新たな足捌き、ハイブリッドな舞踏に見える。そりゃいかんよ、と伝統主義者から言われるのも承知で、その社会に溶け込めない、協調力のない一匹狼たち。空気に馴染めず、内輪で流通する言葉を使うだけで満足することができずに、その欺瞞を暴き、自分の欲望に正直に、自分の関心の赴くまま、自分の思考を展開して、その思考の展開にそぐう日本語の型を作っていった天才達。真の伝統主義者は、伝統の革新者だ、というテーゼを地でいってしまった人々。そして彼らの反逆を取り込み、変質し続ける日本語という、僕の思考をコントロールする文化的総体、その化け物。その化け物の一部であり、その言語的な実践に新たなステップを刻もうとするのが自分のやっていることだと思うと、なんだかすごく気合が入る。肩の力を抜いて、踊ること、楽しむこと。舞踏としての言語へ。
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