見出し画像

アレクサンドロの息子、勝男

先日アップした高橋悠治氏と坂本龍一氏の本の中の一冊に「坂本図書」がありましたが、その中に「月と不死」(ニコライ・アレクサンドロヴィッチ・ネフスキー)の紹介があり、全く知らない人ではあったのですが、興味を引くような紹介であったので図書館で借りてきました。

ネフスキーと聞くと「アレクサンドル・ヤロスラヴィチ・ネフスキー」という中世ロシアの英雄なのかな?と思います。
エイゼンシュテインの映画「アレクサンドル・ネフスキー」とプロコフィエフの映画でのカンタータの記憶が強くありますから。
しかし違う方でした。

ニコライ・アレクサンドロヴィッチ・ネフスキーのニコライとは「ギリシャ語で『人民の勝利』の意」だそうですから「勝男」でしょうか。
アレクサンドロヴィッチは「アレクサンドロの息子」。
ネフスキーは「ネヴァ河の勝利者」という意味なので、大将軍から拝借してきたのかもしれません。
「アレクサンドロの息子である、英雄に比肩する勝男」という意味で、まあ戦争時代はよくある名前なのかもしれません。

その冒頭の編者はしがきに「巻末の加藤九祚の解説は、ネフスキー教授の生涯、交友、学問、人柄など、教授の人と学問を知るうえに欠くことのできないすぐれた労作で、まず最初にこの解説を読まれることを読者にお薦めしたい。」とあり、それに従って解説から読み始めました。

するとネフスキー教授に影響を与えた学者の一人に「シュテルンベルグ」とありました。
帝政ロシア末期に、氏はナロードニキとして捉えられ、10年の刑期で樺太に追放となります。逃亡徒刑囚監視哨所に送られたものの、近くのギリヤク人の生活研究に努め、その後ギリヤク、アイヌ、オロッコ、ツングースなどの民族調査を行います。その後特赦を受けてペテルブルグに戻った大学者。

また本文を読むと「故シュテルンベルグ氏-其小伝と著作」という項もあり、シュテルンベルグ氏の足跡を書かれています。

それを読んでいて、あれっ?なんだか記憶があるなと脳みそ内をググったところ、そうでした、以前読んだ「熱源」にこの人が出ていたのじゃないだろうかとひっかかり、本のサイトを見てみるとおられました。
「レフ・シュテルンベルグ テロ組織「人民の意志」の残党で、サハリンに住む民族学者。」

さて、このネフスキー先生は「西夏文字」の大研究家です。西夏文字は

さてさて仰天することに日本には彼の名前の付いた通りがあります。それも宮古島に

これはよくまとめられていてネフスキー氏の波乱に満ちた人生、そして言語学に命を賭した偉大な学者であった姿がよくわかります。

タイトル写真はネフスキー氏が来日して高橋天民氏に漢学を学んでいる姿です。ネフスキー氏は「西夏文字」の研究で有名なのですが、そのきっかけは日本語を学んだこと、さらに日本の民俗学、そして漢学と幅を広げ、その延長に失われた言葉であった「西夏文字」の解読に進むのです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?