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合掌

木曜日の昼に「Kが亡くなった」と電話がありました。Kは小学校から高校まで一緒の同級生でした。

だから初めて会ってから60年近い。
私は25年くらい広島の同級生の会の幹事役をしています。
場所(店)だけ固定で、毎月第二金曜日(最初頃は第三金曜でした)の夜7時から。来れる人だけで開催、だから出欠もとらないし、時々幹事役の私も行けないことがありますが、まぁ1人でビール飲んで帰ることもあるし、大体2、3人でというのが多く、それに出張や親の面倒、法事での帰省をこれにあわせての「久しぶり」が加わります。
場所と日にち以外は何も決め事はないから「ゆるい例会」と名付けています。

当然割り勘で二次会はなし。実は以前「幹事なら二次会段取りして」と何度か言われ、とうとう頭に来て「私は幹事役で幹事じゃない。だから気軽に毎月続けられるんだ」と断ったこともあります。

なんとなく同窓会の幹事役に見られて、学校の全体の段取りしろとか、同級生に国会議員もいるから、田舎なので先輩らから「あれやれ、これやれ」と言われたことも数知れず。だけど一切無視してたら「あいつは頼りにならん」と認識してもらえるようになりました。

私にとって大事なのは9割以上が広島を離れた同級生と、あの頃同様の「オイお前」「何しよったん」という場があれば良いだけ。義務などどこにもないし、同級生だからと言って仕事に使ったことなどありません。

コロナで中止の時もありましたが、 単純計算だと25年×12回だから300回か。役割だからじゃなくて、気軽にやれたことが出来ている理由かな。


そのKは「ゆるい例会」の常連でした。スポーツマンでもあり、素晴らしい奴。
葬儀に読まれた同級生からの弔辞に彼のこと、彼に対する思いが現れていたので引用します。

「◯◯様の突然のご訃報に接し、謹んでお悔やみ申しあげます。

Kさんにあっては高校生の時に既に極めて落ち着いた大人の考えを持つ間違いなく見習うべき同級生でした。
私もそうであったように多くの教え子の皆さんも幹治さんからは様々な事を学んだはずです。
ここ数年は帰省せずそのようなKさんに会う機会を持つことが出来ず、そのときのお礼を言いそびれたことが悔やまれます。
心からご冥福をお祈りいたします。」

そう、Kは母校の先生でもありました。
Kとはこれからもずっと「ゆるい例会」でいろんな話ができると、勝手に思ってました。お通夜の後、第三金曜日でしたがいつもの店で2人例会でお別れしました。

合掌



タイトル写真は葬儀から帰った後、家のガレージで(多分迷い込んで)亡くなっていたジョウビタキ。
今朝、庭の隅に埋め、手を合わせました。

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