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他者によって自己を定義する

日本ではマスメディアではほとんど報道されず、SNS経由で騒動を知りましたが、私が本当にハッとしたのは「仲野麻紀」さんのopenradioというネットラジオ openradio N.256 2023/07/03 Full Moonのこの回の冒頭です。

信じがたいような規模のデモと混乱ですが、その有様は冒頭のニューズウィークで少し背景がわかったような気がします。
しかし日本ではこのような市民の抵抗はあったとしても小規模で、このように大きくなること、また青少年が参加することはほとんどなくなりました。

先日読んでいた「ホセ・ムヒカ 自由への挑戦」は、単純に日本で紹介されていたウルグアイのムヒカ元大統領のイメージ「世界で最も貧しい大統領」=質素な暮らし、中古のワーゲンは彼の一面であって、過激派の闘争派だったこと、成功も失敗も多く、毀誉褒貶の中にあることを知り。他人はカリスマ化しようとするが、人間は善も悪もその中にあることを改めて痛感しました。もちろんそれでもムヒカ氏は素晴らしいリーダー。我が国のここ何代ものリーダーが口先だけで、未来へのビジョンなど持ち合わせない中、明確な自国民、世界の人々についての理念をお持ちであることがよくわかりました。

さて、その本の中にあった「怒れ!若者よこれが君たちの希望の道だ」(ステファン・エセル+エドガール・モラン)がもしやヒントになるのでは?と借りて読んでみました。

確かにこの本は良いです。善悪二元論やレッテル貼りに挑み、闘いに打ち勝つことという強い繰り返しがありますが、中でもここ

「物質、経済、技術の面に関する要求は、極めて大きい。もちろんこれらの要求に応えなければならないが、要求はほかにもたくさんある。先ず、人間の根源的な要求として、全ての権利を享受する。十全たる人間でありたいという欲求がある。他にも、収益性の確保や熾烈な競争のために、自分があたかもモノのように、そろばん勘定だけで扱われていると感じている人々の欲求がある。また、無視され、忘れ去られ、侮辱され、蔑まされ、「お払い箱」になった人々の欲求がある。暮しを充実させる政策を実施することにより、物質面の貧窮だけでなく、精神面の貧しさ、孤独、侮辱、軽蔑、否定、無理解にも立ち向かうべきだ。」

フランスの若者は「物質面の貧窮だけでなく、精神面の貧しさ、孤独、侮辱、軽蔑、否定、無理解にも立ち向っている」姿なのかなと思います。
それが向き合う相手、押さえつける側はどういう人かと言えば「大衆扇動家や科学技術を手にした破壊者が、儲け主義、暴走する金融資本主義により国家と国民を投機の渦巻く市場に放り込んで、社会では外国人排斥や、人種、民族、地域に基づき差別する偏狭な態度を取る人々」なのですね。

タイトル写真は、5月の広島サミットの初体験の(過剰)警備。いつの間にか「安全・安心」が金科玉条で、いくら制限があっても社会が淡々と受け止めているのを実感した数日でした。

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