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とんどとコモン

先週の日曜日は私の住んでいる地域でとんどがありました。でも「どんど」と呼ぶ所もあるんですね。私が間違ってるのかな?広島方言?

昔は町内の公園とか小学校のグラウンドとかでやっていたのですが、地面が焼けるのがダメとか、ダイオキシンの関係、さらに灰が周囲に散るからとどんどん減っています。
私の住む所も数年前から近所の田んぼをお持ちの方が貸していただき続けることが出来ています。

私はこの日用事があったので、13時からのとんどでしたが、11時前に正月飾りとかを持ち込んでお願いしました。甘酒とか餅は13時から配布開始とのこと、先日笹酒をするというので、家の竹やぶから何本か竹を伐り出され、お手伝いしましたが、美味しい香りのお酒が飲めたのかな?皆さん、一杯気分かもしれませんが、本当にご苦労さまでした。

先日から読んでいる本に「コモンの自治論」があります。

とても良い内容の本ですが、今回のとんどはまさに小さなゆるい組織の自治じゃないだろうかと思うのです。行政は「とんど」をやりがたりませんし、徐々に廃れているのは地域の繋がりの崩壊の表れでもあると思います。
このとんどは学校や公園など地域のパブリックの場所の使用が出来ないので、「じゃあ貸してあげるよ」と田んぼの所有者の篤志によるもの、もしかしたら後の灰が田んぼの肥料になるしね、という思いもあるのかもしれませんが。
で、手伝いをしている人は皆、地域の有志。別に町内の役員だから動員がかかっているわけではないし、家に竹を切りに来た人も複数いましたが、それもまた勝手連みたいなもので、私も顔を見てご近所の方だからと一緒に切ったり、差し上げたもの。
お餅やお酒も持ち寄りで、食べたり飲んだりする人もお金を頂くわけではない。

で、何が生まれるかというと「ゆるい関係づくり」と「正月飾りの伝統的始末」でしょう。後者はゴミ捨てが減るメリットがあるけれど、前者は?といえば思い出すことがあります。

以前広島の安佐南区あたりで大規模な土砂災害がありました。その時私も可部小学校や八木公民館、緑井小学校にお手伝いで行きました。緑井小学校ではピースキャンドルで知り合ったお母さんがおられ、色々話をしたなかで、緑井小学校が凄くよい運営であるのを感心したら
「あれは行政の人も頑張っているけれど、彼らはここにきている人一人ひとりの顔や名前を知っているわけじゃないし、さらにはそれぞれの家庭の状況も知っていはいない。
行政は配られてきたものを受け止めてまとめているけど、それをうまく被災者につないでいるのは、緑井の祭りの委員会(地域の盆踊り)、PTA、地域の野球クラブのメンバー。
動く人それぞれが知った仲。もちろん一人が色々な被災者を知っているわけではないけれど、三人あつまりゃ文殊の知恵で、自分が知らなくても誰かが被災者のことを知っていて、それぞれがカバーしているから、状況に応じて動ける」
という記憶です。
多分私の住んでいる地域で仮に災害があったら、こういったとんどのコモンが本当に動けるのだろうと思います。

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