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○○界のモーツァルト

先日タランティーノの「その昔、ハリウッドで」を読みました。映画の方は見てないのですが、本はなかなか面白い。

その中に脇役として、ロマン・ポランスキー、シャロン・テート、またチャールズ・マンソンらが出てきますが、中にポランスキー監督の凄さを書いている所が、何ヶ所かありました。
監督の「ローズマリーの赤ちゃん」は見てましたが、作品を撮る所は興味深く。さすがに、アイラ・レヴィンの原作を引っ張り出しました。こんなにあるとは…。

タランティーノの本には、妻のシャロンがポランスキーの撮影を回想するこちらのシーンもあり、ポランスキーと共にこれを書いたタランティーノにも感心しました。引用します。

「こんなふうに考えるきっかけになったのが『ローズマリーの赤ちゃん』の撮影現場で体験したある出来事だった。そのことは今でも覚えている。撮影監督のビリー・フレイカーが、ルース・ゴードン演じるカスタベット夫人が出るシーンのカメラ位置を調整していたときのこと。ローズマリーのアパートメントを訪れていた夫人は、電話を貸してほしいと頼む。寝室にある電話を使うようローズマリーに言われ、彼女はベッドの端に腰をおろして電話をかける。撮影しようとし ているのは、寝室の中で電話をしている老婦人をローズマリーがちらっと見るシーンだ。そこで ビリー・フレイカーはカメラを廊下に設置し、ドア越しにルース・ゴードンが見えるような位置取りをした。フレイカーが据えたカメラからは、ドア枠の中にぴたりと収まったルース・ゴードンが見えた。しかし、カメラのファインダーをのぞいたロマンはそれが気に入らず、角度を変えるように指示した。ロマンの指示どおりに置き換えたカメラからだと、カスタベット夫人の全身は映らなかった。ドア枠の左部分に体が隠れてしまった。カメラのファインダーをのぞき込んだシャロンは(彼女はロマンが撮影しているとき、いつもファインダーをのぞかせてもらっていた)なぜ夫がアングルを変えたのか理解できなかった。もしそのシーンがカスタベット夫人を映したシーンなら、最初の画角のほうがはるかによかった―この画角だと、体がまっぷたつに切られてしまっている。

(中略)

劇場は満席だった。カスタベット夫人がローズマリーのアパートメントを訪れるシーンになった。ルース・ゴードンはミア・ファローに電話を貸して欲しいと頼む。ミアは寝室を指差し、どうぞと言う。
ロマンは妻の方に身を寄せて小さな声で言った。「どうしてカメラの位置を変えたのかきみが訊いたのを覚えてる?」
すっかり忘れていたが、このとき思い出して彼女は言った。「ええ」
「見ててごらん」そう言うと、彼は指を差した。しかし、指差したのはスクリーンではなく、大海原のように広がっている観客の頭だった。六百人はいただろう。
ミア・ファロー演じるローズマリーが寝室の中にいる老婦人のほうをちらりと見やった。それと同時に、カットが彼女の視点に切り替わった。そこにはルース・ゴードン演じるカスタベット夫人がベッドに腰をおろし、電話をしている姿が映っていた。が、ドア枠の左側に隠れて彼女の体は半分しか見えない。
その瞬間、シャロンは目撃した。彼女のまえに坐っていた六百人の頭が一斉に右に傾き、ドア枠の向こうをのぞき込もうとしたのだ。その光景に彼女は息を呑んだ。もちろん、頭を動かしたところでもっとよく見えるわけではない―映像は映像だ。観衆はおそらく右に頭を傾けたことすら意識していなかっただろう―無意識に反射的に取った行動だった。こうやってロマンは六百人もの人を操り、まともに考えていたら絶対にしないような行動を取らせた。いずれこれが世界じゅうの何百万人にも広がる。その誰もが何も考えていない。これはロマンが彼らのかわりに考えたことだ。
どうしてそんなことをしたのか。
それは彼にはそんなことができるからだ。
彼女が夫のほうを見ると、ロマンはあの日の撮影現場で見せたのと同じいつものいたずらっぽい笑みを浮かべた。今度はシャロンにもわかった。だから、そのとき頭に浮かんだ唯一のことばは“ワオー"だった。
時々、シャロンはこんなふうに思うことがある。わたしが恋に落ちて結婚したのは、ただのすぐれた映画監督ではなく、映画界のモーツァルトなのだと。このときもそれを実感した。」

なるほど、本によると○○界のモーツァルトとは3つの要素があるようです。
1 誰もが認める“天才”であること
2 その天才性を簡単に知ることが出来ること
3 それとは別の部分に大きなギャップがあること

ポランスキーは?
1も2も当てはまりますね。では3はどうか、彼は「性的虐待」「少女への淫行」う…ん。ギャップはあるようですから、やはり○○界のモーツァルトと言えるでしょう。

この所話題のジャニー喜多川もこの部類かもしれません。
1については山下達郎氏がお墨付き
2についても各メディアが知って知らん顔していたくらい許されていたということですから
3はもちろん調査委員会による性暴力者の認定付きですからね。
困った人ですが、山下氏の一連の発言を読んでも「じゃあ、天才だから許されるの?」ということになりますね。山下氏も全く違う問題をあたかもつなげて発言しているんですよね。

もしかしたら山下氏もシティポップ界のモーツァルト?「別の部分に大きなギャップがある」のかな。


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