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角を曲がったところにファシストが

大変勉強になりました。

丁度先週の土曜日の地元紙に片山氏の国葬に関するコラムを読んだが、このシンポジウムで腑に落ちました。

去年だったかムッソリーニの評伝を読み、そこにあったイタリアの空気感に驚いた。それには誰にも相手にされない人を糾合し、それが黒シャツ隊に繋がっていく。部下たちは平気で政敵に暴力をふるい、殺害まで至るがまともに処罰されなくなっていく。

イタリアの国民がいつのまにか「まさかそんなことまでしないだろう」と思っている間に坂道を転げ落ちるように空気が変わっていく。私はフェリーニの映画が好きだが、その中でもアマルコルドはとても好き。フェリーニ自身のリミニでの青春時代を描いているとも言われているが、あの中で共産党の親父(建築業)がファシストにボロボロになるまで拷問を受けるシーン(確かひまし油をがぶ飲みさせられた)がある一方で、息子(フェリーニでしょうか)が中高生の黒シャツ隊のユース版みたいな感じで、黒い半ズボンで街を行進し、熱狂を受けるシーンもあった。

片山氏はシンポジウムで「国葬反対の割合が6割とか7割というのは、半自民だけでは達することができない数字。この中の1割、2割は安倍氏に強い指導者を仮託してきた愛国者が入っている、それが表に出てきているのではないか、つまり「旧」とのスキャンダルのない、安倍理念に対する純粋な信奉者(ウルトラライトに近い)がついに表に出てきた、というようなことを言われたが、それがムッソリーニの台頭に重なるような気がしたのです。

また国分氏が「先輩、知らんぷりしてると、けっこうなんでもできますよ」と言わんばかりの態度が、安倍政治によって白昼堂々と行われるようになったと指摘している。
これはブルジュアが「似非」不良風を吹かす様ではないかな。副総裁がひょっとこ顔でべらんめえの乱暴な言い方をする、幹事長が不愉快極まりないという顔で司会者に目配せする。
小市民が「似非」不良風を吹かしているにすぎないが、それが大手を振っているように感じます。

昔からブチアウトローというのはある。今日のタイトルバックはアリス・クーパーの「スクールズ・アウト」のジャケット。

そうだ、ヤンキー漫画というのも平成になって沢山出てきて、それがまた映画の原作にもなるような始末だった。それには、多くの若手タレントが出たが、これで「似非」不良風が茶の間に浸透したように思う。さては、それを背景に、マンガ好きなひょっとこ氏が便乗したと思っていたが、どうやらこれは政界全体を覆う中二病、もっと深刻な状態のようだ。

なんとなく道を歩いていると「似非」不良が肩をいからせて歩いてくるが、中身はない薄っぺらなのもわかるので、鹿十(しかと)して通り過ぎる。やりすごして、角を廻ったところに、今までは隠れていた狂信的なファシストが群れている。そんな状態なのかな。

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