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玉かんざしを飲む

「珈琲の表現」(蕪木祐介)を読みましたが、なかなか落ち着いたいい本でした。コーヒーの入れ方から始まる話なのですが、知らないことも多く書いてあって本当にページをめくるのが楽しかったです。
この著者は東京と盛岡で喫茶店を持っておられます。東京のお店は「蕪木」

うかつだったな、と思ったのは「珈琲」という字について、そこを引用します

「日本の『珈琲』とは最初に持ち込んだオランダ人が使っていた『Koffie』からあてられた言葉である。幕末の蘭学者、宇田川榕庵が考案した漢字で、『珈』は訓読みで『かみかざり』、玉を垂れ下げたかんざしのこと、『琲』も意味が近く、多くの玉を連ねて作った飾りのことを指す。榕庵は珈琲が木の枝に赤い果実を実らせている様子を、女性が玉かんざしを紙に飾っている様子に重ねて『珈琲』としたようだ」

知らなかったけど珈琲という字を見るたびに、その後継が目に浮かぶようになるような気がします。今日のタイトル「玉かんざしを飲む」は「珈琲を飲む」ということであります。

また「珈琲屋の嗜み」という章では珈琲屋(喫茶店)についても書かれています。そこでは

「少し疲れたら、息を整えるように、珈琲屋の扉を開く。そこには静かな時間と美味しい一杯の珈琲があれば良い。都会に住んでいると特に思うが、静かな時間を過ごせる場所は意外と少ない。
(中略)
一口、また一口とゆっくりと飲み進めていると、いろんな感情が自然と湧きあがってくるものだ。人の目を気にせず、目を瞑ってしまうこともある。何も考えなくても良い。静かに、珈琲を飲むだけでもいい。その時間だけは背負っている色んな荷物をおろして、無になれる時間。平穏な心持ちに還ることができる。珈琲屋を出る時には、なんだか背筋が伸び、前向きで清々しい気持ちとなっている。ときには勇気を貰える場所となる」

チェーン店の喫茶店とは違う世界。だからこそ珈琲屋と言っているのではないでしょうか。
この記述で思い出したのは古本屋、小さな本屋さん。
私はこういう空間も好きで、旅行する時も寄ったりするのですが、そこもまさにこの珈琲屋と同じような空気感、空間に感じます。

松山の八幡浜の小さな本屋さんには入り口にこんなの貼ってあり、これって賢治のに似てるな…と感じて写メしたのです。

椅子に座って待っていたら若い店主さんが戻ってこられ、店に入ることができました。
店で目についた本も購入しました。
店から出る時は、少し平穏で、豊かな気持ちもいただいていました。

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