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はねにすなや~

そうか、広島は「はね」なんだ。「はね」とは仲間外れのことで、仲間に入れてくれないと「はねにすなや~(仲間外れにしないで)」と言っていたのだな。いまは「ハブる」の方が使われているのだろうか?

まあ、なかなか1000人を切らない日々が続くからな、新規感染者は人の流れと共に増えるのは当然だから、それだけGW以降の人の広島への流れは増えているという証拠、故に中国地方から「はね」になるのもしかたがないことだ。
先日もオンラインの勉強会で「ボチボチ、オフ会を」という話があったので、こう回答した。

「オフ会の件ですが、自由参加でやればよいと思います。今丁度マスクの着用を一律にルール付けをするようですが、これも誰かが決めるのではなく、個人や会社、組織で決めればよい事。責任を誰かに押しつけることが間違いだと思います。世話人さんにはお手数ですが、オフ会は会場の十分な衛生管理、距離等が確保できれば開催してよいと思います。ただ参加するのはそれぞれが、またそれぞれの会社のルールで各自が決めればよい事でしょう。私は社員に広島県で100人を切るまでは注意しようと言っているので、しばらくは…。」

まあ、100人が良いか悪いかは結局は各自、経営者が考えて決めればよいことだろうな。私はそうしているということです。

それでなかなか県外に気軽に足を運ぶことはできないので、毎年行っていた節分の石鎚神社参拝は見送り、少し落ち着いてから女房と後日二人で駆け足で行ったのだ。実は年初、なかなか見通しが立たないので、1月の終わりに広島の石鎚神社の広島西教会というところに一人で行ったのである。まあ四等教会とあるから、ひ孫くらいの扱いだろうが、別に場所で貴賤があるわけじゃない。すると本庁と同じような対応だったので感心し、この5月の春の大祭には女房といったのです(氏子さんは総勢8人)。石鎚神社の氏子さんの方はご存じだろうが、ここは面白くて(失礼)、ご神体は一つなのだが、それが3つの姿のご神像に分かれている。

普通、ご神体とかご神像は見たり触れたりはできない。長野の善光寺ではご本尊のイミテーション(?)を飾り、そこから糸(紐)で回向柱に結び付けて触れるというありがたくもややこしい方式であるが、石鎚神社では見れるし、触れることができるのだ。

とはいってもべたべた触れるわけじゃなく、背中にそれぞれのご神像を押しつけていただくというもの。面白くもありがたい。

帰りにお下がりをいただいた。榊は家と会社の神棚にそれぞれ備えます。コロナが早く安心できるような段階になりますように。島根から「はね」にされず、旅行が出来る日が来ますように。

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