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去る者は日々に疎し

久々にテレビで「ひまわり」を見ました。ウクライナ侵略戦争中でもあり、あのひまわり畑、そしてその下に眠るソ連とイタリアの兵士の姿が今と重なります。ヘンリー・マンシーニのあの曲は本当に名曲だと思う。あの曲がかかると、ソフィア・ローレンの姿が浮かび上がるんだなあ。
前半、出征前の二人のはしゃいだ姿から一変しての後半のマルチェロ・マストロヤンニとソフィア・ローレンの押さえた姿、さすがに名優、傑作でした。

二人が最後に分かれるのはミラノ駅のプラットフォーム。マルチェロが列車に乗り、ソフィアがホームから見送る。二人は一言も語らないのだが、二人の表情、目ですべての思いが溢れるように出て来る。これが映画、演技の真髄だろう。列車が動き出し、ソフィアの目からあふれ出す涙。私はこれこそ映画史に残るラストシーンだと思うね。

そのソフィアの後ろに見えるのが「olivetti」の看板。

今はもうそのOlivettiという会社は経営危機が繰り返され、有名無実、名前だけ承継はされているようだ。

当社は昭和40年代から広島でolivetti社の代理店としてお付き合いをいただいていた。この会社はタイプライタで有名だが、当社の取引のメインは「電動式記録卓上計算機」だった。
昭和40年頃は算盤と計算尺の時代で、今の電卓のメモリ機能つきのものではないが、機械式のメモリが数個付いた会計機(計算機)が特に金融機関向けによく売れた(そうだ)。

その後電子式となっていったのだが、いわゆるコンピュータの前身といえるだろう。


さて、この「ひまわり」は1970年の作品だが、時代設定は第二次大戦後5年くらいだろうから、1950年あたりか。
当時Olivettiはまだまだ計算機の黎明期だったので、歴史考証から果たしてミラノ駅のこの大看板は1950年頃からあったのか、あるいは映画を撮影した1970年頃のものなのかどっちなのだろうか。と感涙にむせびながらつまらないことを考えたのでした。

いずれにしてもウクライナ侵略戦争はもううんざりだ。「去る者は日々に疎し」というが、忘れてはいけないことはあるし、「ひまわり」のような悲劇は一市民に付きつけられることもある。当事者もどっちがどっちではなく、一刻も早く戦争を終わらせることが全て。条件闘争などその後にして欲しい。




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