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イード

私はお祭りが好きです。といっても神輿を担いで大騒ぎというのはあまり性にあわず、地域性で色々なお祭りにふれ、感心、感銘を受けるのです。

とはいえ、私も社会人になった頃、東京の会社に努め、そこで同期で入った友人から「一緒に神輿を担ごう」と誘われ、彼の家が京急の新馬場だったので「品川神社」の神輿を担いだと事があります。晒しや法被は貸してもらい、鉢巻、半股引と足袋だけ買いました。
担いで分かったのは神輿の重さ!肩が砕けるんじゃないか思うほどで、地元の人の半分以下で音を上げました。

国内の色々な祭りもコロナ前には足を運んだりしましたが、コロナ後はなかなかそういう機会も少なくなりました。
海外の祭り、フェスティバルというものではなく、宗教的な祭りで大変印象に残っているのはバングラデシュでたまたま遭遇した「イード」犠牲祭りでした。イスラムの祭りはラマダン明けのイード・アル=フィトル(これは今年は4月20日)ともう一つイード・ウル=アドゥハというのがあります。

その年は、バングラデシュに友人が勤める大学の調査隊に紛れ込んでバングラデシュに行ったのですが、一足早く彼らと別れダッカからシンガポール経由で帰国するので、便の関係でダッカで2泊することになりました。

昼過ぎにホテルに入り、窓から見ているとホテルの前の道路に牛や羊がうじゃうじゃいます。どうやら家畜の市の様子で、馬喰みたいな感じの人と交渉している姿もありました。「へー、家畜市場がホテルの真ん前にあるのか…」
実はこのホテルはダッカでも上等なホテルで日本の首相も泊まったとか、なかなかのランクだっただけに、目の前の家畜市場に驚いてホテルの人に聞いたら「明日がイード(犠牲祭)なので、アッラーに捧げるために牛や羊を買う市場が昨日今日は臨時で来てるんです」とのこと。

翌日ダッカ中心部をぶらぶら歩いていたら、確かに街の繁華街に買われた牛が数メーターおきに繋がれています。広島でいえば本通り商店街みたいなところですが、そこでその牛たちが屠畜されるのです。数人がかりで牛を横倒しにし、目の前で首を切り、あっという間に解体します。もちろん店の前は血だらけで、よく見ると商店街に血の川が流れている次第。
正直仰天しましたが、もちろんラマダン明けのお祭りで、神にささげモノをするという儀式、さらにはっきり覚えてませんが、その肉も5割が買った人、1割がムスリムの坊さん(?)、で後は解体に協力した人を含めて3割がご近所さんで、残り2割は貧しい人に喜捨するとのことで、本当に貧しいバングラデシュの人は一年でこの時だけ牛の肉が食べられるとあって、血だらけの肉をビニール袋に入れてもらい、笑顔満面ではしゃいでいるのです。

その屠畜のシーンだけ見たらなんと野蛮なと思うかもしれませんが、町全体が祭り気分なので、全く陰惨な感じは受けません。日本の祭りに参加している人たちの受け止め方と全く同じ喜びの儀式でした。

なお、犠牲祭は、神さまがアブラハムに、わが子を殺して神への捧げ物にせよと伝え、悩んだあげく信仰を示すために父親のアブラハムは息子を岩の上の横たえ、息子の首に刃をを落とし、神さまは信仰の覚悟を見届けます。その時岩の上に横たわっていたのはヤギで、息子ではありませんでした。
その後、イスラム教徒は信仰の証としてヤギや羊、牛、駱駝を犠牲として神さまに捧げる。というものです。豚がいないというのはイスラムらしいし、他の家畜もその地で手に入りやすいもので良いそうです。バングラデシュでは金持ちは牛、庶民はヤギや羊だったかと。

バングラデシュは当時最大の輸出はジュート(黄麻)でしたが、第二位は革製品。そうです、この祭りの日に大量に出る家畜の皮革が、この国の輸出産業の柱だったということも、またこのとき初めて知りました。

今年から例年通りの開催に戻す祭りが多いようです。人出が多いのは苦手なので、小さな祭りに行きたいなぁ。

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