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Son-in-law


Son-in-lawとは、娘の夫、義理の息子、娘婿なのだが、私にとっては20代半ばまでいた東京は渋谷のジャズバーである。渋谷駅交差点から「渋谷センター街」から宇田川交番前を「井の頭通り」に進みしばらくすると「ワールド宇田川ビル」というのが左手にある。その地下にこのジャズバーはあった。友だちに連れてきてもらったのだが、マスターが大学の先輩でもあり話が合ったので、週一ペースでは行っていたと思う。大学の頃からジャズが少し好きになったが、大学は四谷だったので「いーぐる」でよく聞き、社会人になってからは、ここで聞いたが、私が通い始めて10年くらいで閉店したな。

ここのマスターから店にあったスピーカーを買い替えるとかで、JBLの巨大なスピーカーを下取りしたり、当時は珍しかったロードレーサーも買わせてもらった。懐かしい思い出だ。今日のタイトル写真はそのお店のコースターです。

そんなことを思い出したのもたまたま図書館で借りた本がジャズバーを舞台にしたものだったからだ。青木省三氏の「ぼくらの心に灯がともるとき」

このバーとSon-in-lawが重なったというより、バーのマスターの姿をSon-in-lawのマスターに重ねて読んだのです。
そうか、ジャズを聞きに行ったが、カウンターに座ってぼんやり、少しずつマスターとする会話こそが、私の心でくすぶったり、消えかけていた火を灯していたんじゃないだろうか。

そうそう、巻末にある青木氏のプロフィールを見て驚きました。本職は精神科のお医者さんなのだが、更に驚いたのは母校の高校の5つ先輩のようなのだ。全く存じ上げなかった。
「はじめに」で青木氏の子ども時代の風景の描写があるが、なんとなく私の生まれ育った「堺町」の雰囲気もあるが、いやいや違うな、的場とか京橋あたりの光景じゃないだろうか、と思って読んだ。また床屋や雑貨屋のおじさんに怒られる場面があり

「50年余りの間、僕はこのおじさんたちのことは忘れていた。この本を書き始めてようやく、おじさんたちの生き生きとした姿に気づいたのである。子どもたちはこの怖いオジサンたちに守られていた。オジサンたちは、子どもたちの逸脱にも、チンピラやヤクザの勧誘にも目の端で睨みを利かせてくれていたのだ。」
そう、町内というコミュニティが崩壊し、○○のおじさん、おばさんと呼べるみんなが知っている人が身近にいなくなってしまった。

そして著者もそうだが、そういう人たちや町を記憶している自分もまた、そのおじさんの年を超えているのだ。
Son-in-lawとは義理の息子である。かつての近所のおじさんは。それ位の距離感にいたんじゃないだろうか。親ほど近くなく、また全くの他人じゃない距離。ちむどんどんなら大叔父の「賢吉(石丸謙二郎)」じゃなくて「善一」さんである。


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