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あれ

毎年「青春舞台」を見るのが楽しみ。ここ数年新型コロナで観客を入れた上演ができなかったが、今年の鹿児島での芸文はコロナ前のスタイルでやられて何よりでした。

もちろん高校生は「今」にビビッドで色々な社会問題、課題を取り上げていました。
マスク、いじめ、引きこもり、性被害、ジェンダー、貧困、ヤングケアラー、過疎、戦争。
政治やマスコミがその場限りで取り上げ、いつの間にか忘れさせ放置される諸々をしっかりと演劇にしています。
彼らは演技するだけでなく、その演技をするために深く考えないと表現できないことを体感した若者なので、これからも社会問題に対してそういう姿勢を持ち続けるでしょう。

また、私みたいな爺さんにはビックリするようなテーマ、言葉も。「リセマ達」(滝川二校)の「リセマラ」って初めて知りました。ググると

「リセマラとは、“リセットマラソン”の略で、ソーシャルゲーム上でよく使われる造語の一つ。スマートフォンのゲームアプリで何度もリセットを繰り返す行為。
ゲームをスタートしてすぐに無料で配布されるキャラや装備が、自分の求めるものが出るまで、インストールとアンインストールを繰り返し、多くの場合はガチャを回しリセットします」

これを現実の学校で起きる、という演劇で感心しました。

さて何と言ってもこの番組は最優秀賞校の上演をフルでやってくれますが、今年の、徳島県立城東高等学校「21人いる!」は素晴らしかったです。

「21人いる!」というタイトルからは萩尾望都氏のSF「11人いる」を連想してしまいますが、いやいやもちろん演劇なのでフィクションですが、戦争がテーマ。しかし戦争という言葉は一切出て来ません。
また高校生が徴兵されますが、それは「ボランティア」と呼ばれます。戦争、兵士という言葉がなくてもそのこととわかる。

今年の流行語のトップにほぼ内定でしょうが、岡田監督の「あれ」と同様に「それを意味する隠語」という意味では一緒ですし、ハリー・ポッターの「言ってはいけないあの人」とも同様ですね。
しかしわかっているが、口に出して共有出来ない曖昧さを許すことはなんなのか、そこに向き合わなければならない、と言っているように思います。

そして、21人の演者のキャラクターが、劇の進行と共に個性がくっきりと浮かび上がる脚本、演出、演技は最優秀にふさわしいと思います。

昨日アップした石田徹也氏のムックもなかなか今を描いていて重く心に沈みます。その中にオウム事件の頃の文章がありました。そうそう日曜日の新聞には「統一教会解散請求へ」というのもありました。

まあこれは臨時国会開催前のやってるフリ以外の何者でもないでしょうが、統一教会だけで終わり?
統一教会以外の宗教団体に対してはどうなんでしょうか?オウムの時もオウムだけで矮小化、限定しましたよね。それがその後の問題を引き続き生んだわけですから、放置した責任は政府にあります。もしかして今回も誤魔化しを踏襲するのかな。
さて、石田徹也氏の文を紹介です。

「オウム真理教に対する人のリアクションをこの際、少し考えてみようと思う。(中略)
日本人の心理的な特長として「わかり合える日本人」と いうのがないだろうか。日本人であれば全てのことは大声で言わなくてもわかると思っている。
上祐がしょうげき的だったのは、『わかり合えない日本人』というものをみな知ってしまったからだ。言語の構造、発想も全く理解できない日本人:あ・うんの呼吸が伝わらない日本人。
(1995年11月3日 「アイデア帖」より)」

これは立川女子高校の「あのこをさがして」に重なりますが、今はオウム時代よりさらに酷い社会になっていることを高校生に突きつけられます。

日曜日の地元紙には「妊娠経過教育」「歯止め規定」(タイトル写真)とあり愕然としました。小学校の高学年や中学生は「性行為」は興味半分でも知ってるだろう、なら「阿吽は通用しない日本人」なんだから、「アレ」じゃなくて正しく伝えるのが社会の使命ではないでしょうか。

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