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ホープ・ユー・アー・フィーリング・ベター

私は本もラジオも好きなので、こちらの番組から本の情報を知り、図書館で借りることも多いです。毎回リアルタイムとはいかず、聞き逃しで時差にてきくために、図書館に借りようと申しこんでも既にほかの人が予約しており、後々読むということもありますけど。
先週はこちらでした。信友直子著「ぼけますから、よろしくお願いします。」

信友さんは広島の人でもあり、またこの本で紹介されているご両親の生活は呉ということ、さらに高校の後輩でもあるので、信友さんのこの本だけでなく、映画や講演会なども足を運びました。
「ぼけますから…」は女房と横川シネマで見ましたが、お陰で随分と家の年寄りに対する肩の力が抜けたような気がします。

私の母(父は一足先に)は90近く、義父母も80過ぎなので、決して他人事としては思えないし、信友さんの御両親の姿を見ながら私自身近づいているな~と感じることも少なくありません。

さて後半の「比呂美庵」ですが、今回「生きる意味が分からなくて苦しい」という聴取者の声に対するお答えでした。
それを聞きながら感じることがありました。

果たして生きる意味を理解して生きている人はどれだけいるのだろうか?ということ。
見方を変えると、生きる意味無くして生きることはあるのだろうか、ということでもあります。
それに対しての両者(高橋・伊藤氏)の回答は「読むらじる」に書かれているので是非お読みいただければと思いますが

高橋氏「意味があるから生きてるわけじゃない」
伊藤氏「死ぬまで生きる。それが生きるってこと」

私の気持ちもこれに非常に近いです。

生きていくうえで意味など必要ありません。毎日、日々一所懸命に生きていくのがすべてだと思います。そして歩んできた道を振り返って見た時に、初めて生きることにどういう意味があったのかが、自分の足跡を通じて分かるのではないでしょうか。
もちろん振り返ってあまりの惨憺たる足跡に「なにやってたんだ」と反省する方が多いかもしれません。私はこのクチですが。

もちろん壮大な目標や意味を見据えて生きる方もおられると思いますし、それはそれで結構なことでしょう。

しかし凡人は日々一所懸命、ただ生きていく、しかし獣のように本能のまま生きているのではなく、人間として一所懸命生きる。それがすべてでそこには明確な意味はありません。
「ヒミツの本棚」の信友さん、ご両親はそう生きているではありませんか。

質問者の方は、自殺された従兄弟が「意味を見出せず」と遺書に残していたことを重く受け取っておられます。

私が出来る回答は「意味なんか分からない、今を一所懸命生きるだけ」だと思います。
大事なのは「一所懸命」であって「一生懸命」ではありません。
今、この時なのです。

そうそう一所懸命生きていたらいいことがある一つを先日Twitterで知りました。
私が最初に好きになったアメリカのバンドは「サンタナ」。今回これを知り、やっぱりサンタナっていい奴なんだなとつくづく思いました。

サンタナのアルバムに「天の守護神」という素晴らしいアルバムがありました。その中の「ホープ・ユー・アー・フィーリング・ベター」の歌詞が彷彿としますね。

で、本日横川シネマに行きます。見るのは神戸の元町映画館で監督ご自身からチラシを頂いた「ハマのドン」です。
本日は上映後に監督のご挨拶があるそうなので、今日にしました。一所懸命見ます。

また地元紙にこちらの記事がありました。横川シネマの向かいじゃないですか、こちらも行ってみようと思います。

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