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連帯責任と書け

私が何より嫌いな言葉に「連帯責任」というのがある。自分じゃなくて、仲間の過失を許すな、互いに見張れ、というものだろう。
高校になるとさすがにこういうのは反発があるからあまり聞かなかったが、小中学校ではよく耳にして、本当に嫌だった。もちろん自分に粗相があることも多々あったので、それでみんなに迷惑をかけるのも嫌だったが、仲間のミスを許すなという汚らしい精神が許せなかった。
多分連帯責任を言う側は、「ミスを許すな」って言ってるわけじゃないよ、「ミスがあった時カバーしろ」と言い換えるのだろうが、クラスみたいな小さな社会で監視し合えということには違いない。

そういう気持ちが小さいころからあったから、オーウェルの1984もすんなり受け止められたし、未だに安全安心の美辞麗句の下に街中に監視カメラがあり、それを警察等が自由に使う、さらに車載カメラも同様だから、どこでも監視される社会の完成が近づいていると感じ、とても嫌な気分です。

さて先日の地元紙にこういうニュースがあった(地元紙は電子版がお粗末なので他社のものを引用。共同通信発だから中身は一緒)

これって本当に「連帯責任」だと思う。記事のタイトルにもそう書けばはっきりするのに。

「カード取得率が全国平均以上でなければ、受給を申請できない」なんて、ポイント付けて(飴)カード獲得にやっきになっていたが、ついに痺れをきらしたようだ。「あなたの町にカード取得していない人がいると、あなたの自治体は交付金受給できないよ」(鞭)と言ってるだからな。これは戦中の隣組の精神そのものだろう。
「やることが正しいとか正しくないというのは考えるな、お上が言っていることを聞かないやつが誰なのか、互いに監視しろ。そのうち、誰がもっていないのか内通したらご褒美あげる」という、独裁国家がやっていたことに限りなく近づく。

かつて「シュタージ」と呼ばれる秘密警察が東独にあり、仲間同士、いや家族同士も監視し合ったという歴史が厳然と残っている。前のドイツの首相、メルケル氏の評伝を昨年読んだが、その恐ろしさがあるからこそ、メルケル氏は自由を強く掲げたように思う。

いまだに世界では、建前では民主国家と言いながら、シュタージもどきが徘徊する国は不幸なことに少なからずあると思う。蟻の一穴というが、私はこのマイナカードと交付金の施策(脅し)は間違いなくそれにあたると思うし、とうとう恥を捨てた政府は、強引に進むことを宣言したと思うのである。

いやまてよ、この交付金と政策のバーター、さらにコミュニティの分断というのは、沖縄の辺野古埋め立て問題でとっくにやっているではないか。あそこでそれなりに強引に押さえ込んだんだから、マイナカードも同じようにやろうとしているのだろう。なんということだろうか。

そうだ最近Twitterで毎日新聞 校閲センターさん(@mainichi_kotoba)さんをフォロー登録したのだが、結構思い違いがあるもんだと、赤面しつつ勉強になる。

今回のこれはサラリと見ていたことだが、「ホンマなん?」と言われると絶句なする数字についてだ。
校閲ってなんとなく字句のチェックなと思っていたが、いやファクトチェックなんだな。こういう取り上げをマイナカードでもやって欲しかった。

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