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松風は われらが笛や 長福寺

地元紙を開けると訃報が載っていました。

私は氏の著作の中で「夢幻の山旅」を読んだことがあります。それは辻まこと氏を書いた話だったからです。

私は学生時代に「辻まこと」氏にはまり、その後も購入する作家でした。

「夢幻の山旅」はこの読売の記事にもあるように「実在の人物や事件を背景にしたノンフィクションノベル」で、辻氏の最後まで書かれていて、正直あまり読後感はすっきりしない所があったのは、辻氏の著作から受けていた私のもっていた辻氏像と必ずしもそぐわなかったからだと思います。

久しぶりにこの「夢幻の山旅」を手に取り読み返しましたが、その思いはあまり変わりません。
よくご存じのように「辻まこと」氏はその両親に関わる人たちがとても大変な人で、スキャンダラスに取り上げられることも多かったようですし、純文学でも母親の「伊藤野枝」やその愛人である「大杉栄」については瀬戸内晴美(現寂聴)の「美は乱調にあり」「諧調は偽りなり」で書かれていますし、この「夢幻の山旅」でも触れられている妹(大杉と伊藤の子)の魔子との関係も興味深かったですが、その魔子の妹のルイズは松下竜一氏の「ルイズ-父に貰いし名は」で書かれています。

一方まことの父である「辻潤」氏程破滅的な生き方をした人はいないように思います。ダダイストの潤氏の本は青空文庫で読むことが出来ます。その中に伊藤野枝、辻まことについて書かれている「ふもれすく」はこちら

当時はSNSの時代ではありませんが、大逆事件により翻弄された市井の自由人、その家族にはよほど平穏とは程遠い日常があったのだと思います。それ故、辻まこと氏の最後には深く胸を撃たれるものがありました。

そこで少々引っかかるのはこの小説「ノンフィクションノベル」とはいえ、辻まこと氏の最後は、病気による逝去ではなく縊死であることを(見たかのように)書かれています。奥さんから連絡を受けた主治医が「病死にしましょう」という確認をしたとありました。もちろんノベルなので、真偽は別としてもこの書き方は主治医に大変な迷惑をかけるものではないでしょうか。
私小説は自身のことなので、それは自分が負えばよい事ですが、題材が別にある「ノンフィクションノベル」はどう負えばよいのでしょうか。それは瀬戸内晴美の小説でも同じことです。

タイトルはこの「夢幻の旅路」の最後に紹介されている辻まこと氏の墓碑銘、辻氏自身の句だそうです。この句の菩提寺「長福寺」は福島県双葉郡川内村にあるお寺。福島原発から内陸に25キロほど入ったところにあるようです。まこと氏は松風ではない、311の津波、原発メルトダウンの音をどう聞いたのでしょうか。

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