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ヘイ、ブー

私はもう年なのでドラマを見る時は30分が限界。もちろん毎週見るのもなかなかできないので、地上波のドラマは全く見ません。大河ドラマももう何年も見たことがないし、NHKも露骨に番宣の番組ばかりなので、そうすると全く出演者のこともわからないので、これまた見なくなる。そういう循環です。

でもドラマを見ないわけではなくBSテレ東の深夜ドラマは見ます。30分ですからね。もちろん深夜ですから録画して翌日の帰宅後など時間がある時に見ますが、なかなか面白いドラマもあります。

先月から見ていた一つに「姪のメイ」というのがあり、全6話だったと思いますが、これが良かった。
演技も良かったのですが、カメラワーク(CGか)にも感心しました。最終回の主人公本郷奏多の目玉に映るメイの姿、大きく映し出されているのはまつげと見開いた目玉だけ。その黒目に映る姿。テレビでなかなかできないチャレンジだったと思います。

なんといっても中学生役のメイがとても印象的でした。

丁度「アラバマ物語」の新訳「ものまね鳥を殺すのは」(ハーパー・リー)を読んでいましたが、その主人公スカウトに重なります。今日のタイトルの「ヘイ、ブー」は終盤の印象的なスカウトの言葉。

以前読んだ「アラバマ物語」はグレゴリー・ペックがアティカスを演じた映画を先に見てていたので、本を読んだときは映画のスカウト役、メアリー・バダムが浮かんでいましたが、今回はスカウトには「姪のメイ」の⼤沢⼀菜さんが重なっていましたね。

で、「ものまね鳥を殺すのは」ですが、久しぶりに読み返すと、人種問題だけでなく様々な今も続いている出来事が書かれていることに気が付きます。それは偏見や差別、隣人との関係、そして引きこもりのブー氏。ハーパー・リーがこれを書いたのが1960年ですから60年以上前。生活の豊かさ、溢れるほどのモノ、進歩し続ける技術、右肩上がり、薔薇色の時代と思っていたのではないでしょうか。
1960年はベトナム戦争が始まり、ガガーリンが「地球は青かった」というのは翌年。60年に出馬宣言したケデディ大統領は63年に暗殺。もちろん東京五輪(前回)もまだ開催されておらず、中東も揉めていましたがPLOも発足前の時代。ですから資源の争奪も始まり、環境破壊に突き進んでいく時代でもありました。世代的には二世代前ですから、生活環境は激変しているにもかかわらず、人間の内面は変わっていない。なんということだろう、

後半には裁判のシーンがありますが、その裁判の途中にいたたまれなくなった少年(ディル)が外に出ていくところで、こんな場面があります

「あの子の本能には世の中の悪影響がまだ及んでいないんだよ。もう少し大きくなったら、気持ち悪くなったり泣いたりしなくなる。たぶん世の中のことが完全に正しくはないと感じても、泣かなくなるだろう。あと数年歳を取ったら」
「何について泣くんですか、ミスター・レイモンド?」ディルの男としての誇りが頭をもたげてきたようだった。
「人がほかの人に対してする意地の悪いこと考えもせずにやっていることについて泣く。白人が黒人たちにしていること立ち止まって、彼らも人間なんだと考えもせずにやっている意地悪なこと――そういったことについて泣くんだよ」

私は世の中が正しくないことに対して泣けるのだろうか…

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