見出し画像

トントンぱたりトンぱたり

朝早くテレビで落語をすることがあります。BS-TBSの落語研究会の再放送が毎月1週間ほど、5時から6時の時間であるのですが、先日、橘家圓太郎師匠の「操競女学校 お里の伝」がありました。

お題の「操競女学校」普通に見ると「体操競技の女学校か?」と思いますが、読みは「みさおくらべ おんながっこう おさとのでん」であります。もとは頼山陽が武家の子女の操教育に作った話とかで少々古臭いというか、落語よりは講談向きの話かもしれません。

橘家圓太郎師匠の噺はなかなか良かったですね。番組の校正が余裕があることもあって、話もショートバージョンじゃなかったのがまた良かったです。三遊亭圓生(六代目)師匠の動画を貼り付けておきます。

これは「お里」という娘のかたき討ちの話ですが、身を偽っていたお里が仇持ちであることがわかるのが、元禄15年12月15日の朝、赤穂浪士が討ち入りしたというのを聞いたお里がほろりと感涙を流したのを主が見て、どういう事情か?と聞いたことから大きく話が進みます。その後その主の配慮で仇を数年かけて探すのですが、正月あけての七草の日にその仇敵を見つけます。その七草で歌う歌が

「七草なずな、唐土の鳥が日本の土地に届かぬ先に、トントンぱたりトンぱたり、トントンぱたりトンぱたり。(家族が)オテテッテッテッテ・・・・」

というものでした。この歌や酒で口が軽くなった仇敵が、少し口を滑らして、仇であることが露見します。そしてその後、見事に本懐を遂げるという孝女の噺ではあるのですが、この「七草なずな」の歌で思い出しました。


丁度3年前、横浜でクルーズ船が隔離され、コロナ患者が…というときでした。その時ある勉強会が東京であり、懇親会で三遊亭金鳥師匠に二席いただきました。。その一つが「七草」(ななくさ)というものでした。先ほどの「七草なずな…」が落語の落ちにつながるのですが、金鳥師匠がこの歌詞を説明してくれました。

「江戸時代の昔から、感染症は大陸から来ると思われていたようで、冬場の時期、健康に気を付け七草をいただくとともに、悪い感染が日本に届きませんように、という意味がこの歌にはあります。「唐土(どうど)の鳥」が運んでくる病気を来る前に東シナ海に落ちますように、ということでしょうか。今回のコロナも武漢が発生源とかなので、昔の人の言はそれなりに正しいんでしょうね。落語も勉強になるんですよ」

といっておられました。その時はへーっと思っただけですが、その後、あのコロナの騒動ですから、金鳥師匠はなかなか勘が良い師匠だなと敬服しました。

そうそう古典落語の話の締めくくり、サゲはたいていの観客は知っているから、有観客の高座を見ていると、サゲのセリフを言い終わる瞬間に拍手する人がいる。もちろん噺家が間を一呼吸置いてお辞儀するタイミングなんか関係ない。
あれはみっともない、私ゃこの噺は何遍も聞いてるよ、と言っている様が感じられる。美味しいものを口に入れた瞬間に「美味い!」という食レポタレントの姿だな。普通はしっかり口の中で味わって喉元をしっかり過ぎた後に感想が浮かぶのが本当だろうけど、まあ演技、やらせということでしょう。

これは落語だけでなく、コンサートなんか行ってもよく見かける。クラシックで音がまだ消えていかないなか、「ブラボー!」と拍手をする人がいる。いやいや、音楽とはすべての音が消えていくまで聞かなきゃ、と思うんです。

そうだ、先日も紹介しましたがETVで「日本のピアノ」があり、その中に武満徹氏の「音楽(ピアノ)は旋律が張り巡らされているが、自分は間を表現したい、それは茶の湯や、能の間なんだ」というような言葉があり、とても感心した。このことなんですよ。

能の舞台で演目が終わった時に即座に拍手する人はいない。シテが橋掛りを演じながら去っていき、揚幕の向こうに消え、地謡の声が細く消えていった後、見ている側も緊張がほどけ、ようやく「ふーっ」と息を吐き出してから拍手ができる。
多分落語やコンサートですぐ拍手をする人というのは、一つには目の前の演者、演奏に集中していないのだと思う。そして悪いことに、その一泊速い拍手が周りの聴衆の迷惑だということもわかっていない。日常の会話も同じでしょう、「間」って本当に大事だと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?