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判子ダブル

タイトル写真は広島県のずさんなハンコ状況です.

お役所仕事って毎度のことええ加減だなあと思うのですが、知事公印が27個あるということにも驚きました。

でこちらもまたいい加減なハンコ状況。

「前代未聞」とまで書かれてはどうしようもありません。だからと言って「やっぱりマイナカード」というもの違うでしょう。人が関わることにはこういうご都合主義は付き物です。
デジタル化を進めても人が関わる所があればそこには穴があり、そもそもシステム設計やプログラムを人間が作るわけですから、完全無欠なんていうこともありえません。
ということですから、結局それが起きにくい仕組みを作るしかありません。

私は、稲盛和夫氏のフィロソフィを学んでいますが、そこでも「判子」についてはこういうことを学んでいます。

ダブルチェックの原則を貫く

「人間、誰しも出来心ということがある。そのような心のすきを突いてしまったがために、その人に罪を犯させてしまったのなら、これはマネジメントの責任ではないか。不正をしようと思ってもできないシステムにしておけば、人を罪人に陥れることにはならなかったはずだ。私はそのように考えるのです。
それは何も、人間はもともと悪人なのだから、悪さをしないようにダブルチェックをしなければならない、という性悪説に基づいて言っているのではありません。みんな善人なのですが、つい魔が差してしまうことがある。だからこそ、それをさせてはならない。罪をつくらせてはならないからこそ、ダブルチェックを行うのです。

代表者印の扱いもダブルチェックで

私が最初につくったダブルチェックのシステムは、契約書の捺印に関してでした。私は社長でしたから、会社の手形や小切手といったあらゆる契約書に印を押さなければなりません。ところが私は技術屋でしたし、また先ほども言いましたように、頻繁に現場に行っては製品とにらめっこをしたり、物をつくったり機械を直したり、はたまた営業にも走り回っていましたから、会社の机にデンと座って、印鑑を押し続けるわけにはいかないのです。考えてみれば私がこの41年間で自分で社長印を押したのは、ほんの数回ぐらいだろうと思います。
そこで私は、捺印は総務と経理の人に任せようと思いました。 しかしながら、私の印鑑、つまり会社の公印さえあれば、いくらでもお金を引き出せるわけですから、悪用されればたいへんなことになってしまいかねない。 かといって、みんなを信用せずに私が握っていても仕事にならない。そこで私は、印鑑を押すための書類を作ることと、印鑑を押すことは、別の人が行うことにしたのです。
例えば、経理部長が社長印を持っている。ある人が「この書類に印鑑をください」と持ってきたときに、経理部長は捺印してしかるべき内容のものかどうかを確認し、責任を持って押す。ただし、経理部長は、自分でその書類を作ってはならない。
同時に、印鑑を保管している箱には鍵が付いていて、その鍵は経理部長とは別の人が持っている。経理部長が「今からこういう書類に印鑑を押さなければならないので、印鑑を出してくれ」と言うと、部下が「この書類に捺印するのですね」とその書類をまた確認して、金庫から印箱を取り出し、鍵を開けて印鑑を渡す。このように、二重三重に代表者印を扱 うことにしたのです。これも間違いを未然に防ぎ、人に罪をつくらせないがためなのです。」

ということですが、すると二重三重に人がいるならそれが生産性を悪くするという見方も出てくるでしょう。それはその通りですが、結局のところは経営者・トップ(首長)の経営哲学がどうなのか、どう覚悟するのかということにつきるのです。

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