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大河ドラマの罪

今回図書館で借りたこの二冊、共通点は「戦争」というタイトルだけかと思いましたら、違いました。

もう一つの共通点、「この国」は加藤陽子氏との共著(対談)であることは表紙を見ればわかりますが、中井先生の本もまた加藤先生と中井先生の対談が55頁もあったのです。

もちろんこの二冊での加藤氏の立ち位置だけでなく、対談の時期の違いもありとても面白いものでした。
中井氏との対談は2015年、そして奥泉氏との対談は2022年。
中井氏との時期はコロナ前でもあり、安倍元首相が一気に右によって進めようとした時期。一方奥泉氏との方はコロナ後で、ウクライナ侵略戦争が起きた後なので、どちらというと中井氏はきな臭さを感じつつも、先の大戦の反省や評価のウェイトが高いし、奥泉氏との方は実際に起きている戦争を見ながらの対談でもあります。


中井久夫氏との対談で、加藤陽子氏は多くの知識を披歴しますが、中井氏の語る「オーラル・ヒストリー」によって、加藤氏の知識は地に足が付いたものとしてしっかりと構築されていく様に圧倒されます。

そして「この国の戦争」では、加藤氏が奥泉氏の質問を受けることによって、さらに新たな視点からその史実を、また語ることによって補強していくさまが見えるのです。

とても素晴らしい二冊でしたが、「この国の戦争」の最初の方にとても興味深い指摘がありましたので、そこを引用します。

加藤陽子
「司馬遼太郎さんの『坂の上の雲』における当時の国際関係の描き方に問題があるとして、この点が史実とは違うと正確に指摘することは本当に大切だと思うのですが、相手は一つの作品として物語の世界を提示してきているわけですね。ロマンを含む物語が完成形で提示された。その中の不正確さを論ずることの意味について、私はやはり限界を感じています。歴史家の一つの方法としては、(中略)小説家に正確な史実を提供し、物語を紡ぐ際の必須の参考資料を提供していくという関係です。」

奥泉光
「その期待に小説家が答えていくのは簡単じゃない、史実を見据えて、わかりやすいロマンティックな物語に引きずられるばかりにならんないよう心掛ける必要は最低限あるわけですが、最初にも言いましたけれど、歴史に限らず、私たちは物語なしに現実というものを認識できない仕組みの中に生きている。そのことからは免れ得ない。物事は物語的でない仕方で「客観的に」認識できる、というふうに思わない方がいい。物語、ストーリーにしないと現実は認識できない。だから、絶えず疑問を持つ必要がある。歴史を扱うときには問いを立てることがとにかく大事だ」

この二人の指摘で頭をよぎったのがNHKの大河ドラマです。

わたしは大河ドラマを見なくなって久しいのですが、大河離れがいわれていた時期に重なると思います。それは2003年の市川海老蔵氏の「武蔵」からではなかったでしょうか、更に翌年の香取慎吾氏の「新選組」で完全に見なくなり、さらに福山雅治氏の「龍馬伝」からは視聴率も20%を切るようになって、昨年の「鎌倉殿」は12%になっているのです。

その原因は幾つかあると思いますが、大河ドラマから視聴者が離れないようにするテコ入れに、かつては大物人気俳優を投入しテコ入れをしていたのだと思いますが、今やそんな大物人気俳優など存在しなくなりましたからそれもできません。
そこで、お二人の言う「史実」を捨てて「ロマンティックな物語」に徹して視聴率稼ぎで良いじゃないか、となっていったことがあるように思います。
その責任はNHKにありますが、新選組で脚本家の三谷氏が主人公を一人でなく青春群像に替えて、演技力不足をカバーし、結果として現代青年ドラマ風に仕立て上げたましたが、これはまぎれもなく史実から離れ、あっさりと正確さを切り捨ててきたということでしょう。

お二人の話からするこれを考えるに、仮に12%程度であっても国営放送のゴールデンタイムのドラマであっても、紅白歌合戦での番宣や様々な番組で告知をするのが今の大河ドラマの立場ですから、このふざけた物語が「坂の上の雲」のように、あたかも史実であるかのように独り歩きしていくのではないかと思うのです。

それはまた今の家康も同じでしょう。番組のサイトによると
「稀代のストーリーテラー・古沢良太の手による、ハラハラドキドキ、スピード感あふれる波乱万丈のエンターテインメント
だそうですから、史実なんて…。
まぁお金をかけたパロディという見方が正しかろう。


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