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挨拶

昨日、通常国会が開会し、被爆地から選出の首相による施政方針演説がありました。通常国会の施政方針演説は、米国でいえば一般教書演説で、議会に対して最も重要な首相の演説にあたりますが、なんと空虚な力のないものか。前々首相の大言壮語、前首相のペーパー読み、となんとも演説を舐めているのかというのが続いたが、どうやら中身がスカスカなところは踏襲しているようで、演説の口ぶりも力強さは見せようと努力はされているようだが、どうにも何も伝わらない。もちろん中身も役人のやらされ作文だろうからやむを得まい。

岸田君に力のある本当の言葉を率爾ながら教えよう。詩人の石垣りん氏が、国内で初めて被爆者の写真が公開されて、それが職場(興銀)の朗読組合の掲示板に掲示された時に付けたものだそうです。


石垣りん
「挨拶」   
     原爆の写真によせて

あ、
この焼けただれた顔は
一九四五年八月六日
その時広島にいた人
二五万の焼けただれのひとつ

すでに此の世にないもの

とはいえ
友よ

向き合った互いの顔を
も一度見直そう
戦火の後もとどめぬ
すこやかな今日の顔
すがすがしい朝の顔を

その顔の中に明日の表情をさがすとき
私はりつぜんとするのだ

地球が原爆を数百個所持して
生と死のきわどい淵を歩くとき
なぜそんなにも安らかに
あなたは美しいのか

しずかに耳を澄ませ
何かが近づいてきはしないか
見きわめなければならないものは目の前に
えり分けなければならないものは
手の中にある
午前八時一五分は
毎朝やってくる

一九四五年八月六日の朝
一瞬にして死んだ二五万人の人すべて
いま在る
あなたの如く、私の如く
やすらかに 美しく 油断していた。

石垣氏のこの詩を、核兵器禁止条約を批准しようとしない、また核兵器廃絶に全身全霊を傾けない、広島第一区選出の国会議員はどう読むのだろうか。

石垣氏が示す「見きわめなければならないものは目の前に、えり分けなければならないものは手の中にある」。

あなたがやるべきことは、油断せず兵器を準備することではない。G7で単に7か国+EUの首脳を広島の地に呼ぶことでもない。

あなたがやるべきことは核兵器が存在する限り「死のきわどい淵」がありつづけることを本気で訴えること、実行すること。

「見きわめなければならないものは目の前に、えり分けなければならないものは手の中にある」
という意味はこのことだ。あなたは広島に関わる人間として、このことを真に理解することだ。

どうやら首相選出地の地元紙も、言葉の軽さには呆れているようで、一面のコラムは突き放した感がありました。

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