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An Officer and a Private

一昨日も書きましたが、日本海海戦についての3冊を読んで感じたことです。

まず最初に言うべきは、ツシマ敗戦記とツシマは体験者によるものですが、司馬遼太郎氏の「坂の上の雲」はもちろん作者自身の体験ではありません。
司馬氏は大正12年生まれなので、日露戦争時には生まれてもいませんから、体験どころか後世の小説家による歴史小説、つまりフィクションの色合いがある作品ということです。

そして久しぶりに「坂の上の雲」を読み返して、いかに「ツシマ敗戦記」「ツシマ」を底本にしている箇所が多いかということにも驚きました。
日本海軍による戦闘の記録はあっても、生き生きとした戦場の描写はこの底本あってのことだと知りました。

さて「ツシマ敗戦記」はバルチック艦隊の旗艦の中佐によるもので、「ツシマ」は僚艦の水兵によるもの。それだけに日本海海戦への視点の違いも生々しく、また敗戦後のロシア革命の見方も誠に面白い。

つまり今日のタイトルのオフィサーは「敗戦記」の中佐、プライベートは「ツシマ」の水兵から来ています。

「ツシマ」では

「専制政治の病毒が深くくいこみ、封建制度で固まったロシアは、戦場における試験に落第したのだ。試験に堪えるにはあまり老衰しすぎていたのだ。明治維新によって復興した資本主義日本は、我が国の提督や将軍達の自慢の鼻をへし折ったのだ。
われわれの敗北は誰の責任だろうか?それは国家組織全体の責任なのだ。果たしてツシマは朝鮮海峡だけに存在するものであろうか?いや、陸の戦場でもかなりの程度に経験してきているのだ。それほど明瞭ではなかろうが、ツシマは鉄道にも工場にも造船所にも教育界にも、すべての圧迫された無智の生活の中にあるのだ。」

ツシマの作者は後にこの作品でスターリン賞を取っているように、階級闘争としての視点がありました。

一方「敗戦記」の方は、惨敗の理由はあくまでロシアと日本の船と火力の差が根底で、艦隊がうまく機能しない点についてはあくまで訓練不足で、組織としての齟齬ではないとする。まさに組織の内部からの視座でした。

これがまた見事に浮き彫りになるのが、敗戦後2人とも捕虜になるのですが、その待遇に対する不満の違い。「ツシマ」の方は俘虜期間も水兵としての給料が出ることに驚き、「敗戦記」の方はロシアに帰る船の上で水兵に「腐った豚肉」が出たことによる反乱の兆しがあり、またウラジオに着いて革命であらゆる所が壊され、シベリア鉄道もスムースに動かないことから将来に対して暗澹たる思いにとらわれます。

そうそう、「敗戦記」の腐った豚肉の話は戦艦ポチョムキンの食事にウジ虫に重なります。「ツシマ」では黒海の戦艦ポチョムキンのことも書かれ、時代の変わり目であることを書いています。

また「敗戦記」では捕虜になった後、日本での扱いは武士道とは全く幻想だったと手厳しく書いていました。

司馬遼太郎氏の本は、この捕虜がどう扱われたかは書いていません。やはり戦勝国の英雄譚ということですね。

今日のタイトルは「愛と青春の旅立ち」の原題「An Officer and a Gentleman」から頂きました。リチャード・ギアとデブラ・ウィンガーのラブラブ映画。
タイトルの意味は軍事法律で使われる「conduct unbecoming an officer and a gentleman」という言葉からきたそうです。「士官や紳士にふさわしくない振る舞い」といった意味なので「敗戦記」の中佐はまさにそういう扱いを日本海軍によってうけたようですが、「ツシマ」の水兵はそうでもない。なかなか面白い対比でした。

でタイトル写真は「ツシマ」のブックカバーに紹介されていた作者の写真。スターリン賞だけに記念切手になっているんですね。

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