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ブラ俊哉@仙崎
「廃線候補路線の旅」では念願の盲腸線、美祢線仙崎支線に行くのが何と言っても楽しみでした。でも仙崎と聞いても「かまぼこ」か「金子みすゞ」さんくらいしか浮かびません。
山陰線の長門市駅に到着するのが15時6分で、接続の仙崎行きは16時1分発と間が空くので、仙崎の先には観光地の青海島があることから、長門市駅からバスを使って仙崎に行くことにしました。
丁度15時26分発のサンデン交通の大泊行きのバスがあり、それに乗車しましたが、乗客は私一人…。
長門市駅を出て、仙崎駅前を通り、センザキッチンという道の駅経由で仙崎を通り越し、青海大橋を渡ったところにある「王子山公園」で下車しました。バス停から2分ほど登ったところの展望台からの仙崎はなかなかのものでした。
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先ほどまでは青空だったのですが、残念ながら少し雲が出てしまいました。それでもこの小さな仙崎の一角は心が落ちつく光景です。
王子山公園を下ったところにかかる青海大橋を歩いて仙崎に向かいます。
橋を渡ったところにある螺旋階段をおり、橋の下から海峡を眺めますが、きれいな海。
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橋の下から西のほうに歩くとすぐに「みすず通り」という看板があり、そこに入ります。土曜日の午後ということで通りの端っこなので、人通りもほとんどなく、目につくのは丸々と太った猫ばかり。
この通りに入ると、あちらこちらに「金子みすゞ」さんの歌が書かれているのが目につきます。しばらくいくと「金子みすゞ」さんのお墓のあるお寺という表示があり、小さなお寺さんでしたがお彼岸でもあるので、お参りさせてもらいました。
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青海島側から仙崎駅は北に向かっていく道になりますが、だんだんと商店が増えてきます。といってももうやめられた所や、開けていない所の方が多いような感じでもあります。その中に「金子みすゞ」さんの有名な詩の一節が書かれた像がありました。
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台座を見ると「みんなちがって みんないい 内閣総理大臣 安倍晋三 筆」とありました。
いやいやあなたは選挙の時に「こんな人たちに負けるわけにはいかない」と言ったじゃありませんか。ご自身は正味「違いを認めない男」だったと思いますよ。そうすると、心にもないことを書いているのがなんだか台座を汚しているような気もして…
さてメインの「金子みすゞ記念館」に到着です。こちらは二棟が続いたような形式で、向かって右側が「みすゞ」さんの実家跡に「金子文英堂」を再現したもの、左側が記念館になります。
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最初に文英堂側から入ると、当時の取り扱っていただろう本も並んでいて雰囲気が伝わってきます。
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二階が「みすゞ」さんの部屋の再現。みすゞさんは早くにお父さんを亡くされましたが、きちんと育てられた娘さんだったことが感じられました。
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受付の方に色々質問させていただき、次に本館の記念館に行きました。生まれてからどういうことがあったかというのが順に展示され、また作品も並びます。
展示室の奥を右手に回ると「みすゞギャラリー」という一角があり、少し暗めの所に有名な作品が額に入り、また「手のひらのページ」としてそこで手のひらを出すと上部から詩が手のひらに映し出されます。額に入ったものと異なり、手のひらに映った詩は自分が詩を口ずさむように、からだで「みすゞ」さんの詩が感じられる良いものでした。
なかでもその「手のひらのページ」の詩の一つ「わらい」はすこぶる感動的でした。
それはきれいな薔薇いろで、
芥子つぶよりかちいさくて、
こぼれて土に落ちたとき、
ぱっと花火がはじけるように、
おおきな花がひらくのよ。
(もしも泪がこぼれるように、
こんな笑いがこぼれたら、
どんなに、どんなに、きれいでしょう。)
( )の中は手のひらページでは映りませんでした。
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売店に「金子みすゞ」さんの手書きの詩が書かれた葉書があったので、「わらい」がないか伺ったところ、「手書きのものはありませんが『いもとようこ』さんの絵葉書セットにはあります」とのことで求めました。
また手書きの方もとても素敵な「蜂と神さま」を購入しました。
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記念館に入ったのが16時過ぎで「閉館が17時ですがよろしいでしょうか」と言われていたのを思い出し時間を見ると、もう17時前になっていたので退館しました。仙崎という小さな町にこのような巨きな感性を持つ詩人がいたことに深く感銘を受けました。
東日本大震災の時のAC「こだまでしょうか」の記憶も強いのですが、早逝された金子さんが今おられたらどういう童謡を作られただろうかと思わずにはいられませんでした。
駅に向かっていくと、記念館で見た詩にあった「祇園社」という神社への道が目に入りました。正式には八坂神社だそうですが、みすゞ通りから入り神社の裏手から廻ってお参りしました。創建は吉備真備が素戔嗚尊を祀ったのが縁起のようです。
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祇園社から少し北東に行ったところに「センザキッチン」という道の駅がありましたので、ここで早めの夕食にしました。
とはいっても食事をする所は閉まっているところがほとんどで、唯一開いていた「仙崎本丸」に入りました。メニューを見て「イカの漬け丼」に長門市名物の「焼き鳥」をお願いしました。
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食事の場所からは海上保安庁の船も見えて、いい雰囲気でした。ここは第七管区の東端を担当する「仙崎海上保安部」があるのだそうです。
美味しく晩飯をいただき、道の駅をブラブラしていたら、良い時間になりましたので、18時過ぎの最終の仙崎発の盲腸線に乗るべく、歩いて10分くらいの仙崎駅に向かいました。
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仙崎に何があるかと言えば、冒頭に書いたように「かまぼこ」については道の駅にふんだんにありました。
また「金子みすゞ」さんの町であることもよくわかりましたが、小さな町を歩いてのんびりブラ俊哉してみると、それ以外に何があるかが少しわかりました。
仙崎はかつては捕鯨もやっていた漁師の町であり、大変漁業でにぎわっていた町であること、今でも立派なその漁港からの物流のためにかつてこの仙崎支線が設けられたことがわかりました。
漁港の界隈には「みすゞ」さんの有名な「大漁」の詩が書かれていました。
朝焼け小焼けだ大漁だ
オオバいわしの大漁だ
浜は祭りのようだけど
海の中では何万の
いわしの弔いするだろう
この詩は漁師の漁獲と取られる側のイワシを対比しているものですが、いま読むと、かつての大変にぎわった仙崎の風景と、今はいない過ぎ去った当時の人、賑わい去った姿の対比のように聞こえるのです。
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