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穀雨の朝は霧、あがったら筍掘り

夜は明けたが

木曜日は穀雨でしたが、雨でなくひどい霧でした。夜明け頃はまだ少し霧がかかる位でしたが、どんどん進み7時頃の出勤時は真っ白。

夜明けごろと同じ方向を撮っています

今日は気温が高いので、川や地面の水が上がってきているのだろうとは思いますが、久々の光景でした。

己斐橋近く

太田川放水路は霧で真っ白。

こういう霧を見ると思い出すのが映画のシーンです。
最も印象深く思い出すのはフェリーニの映画、色々な所で霧の場面があり、夢か現かわからないのが良いんですね。アマルコルドも霧の中に牛が登場するシーンがあり、とても印象深い。この辺りはとても美的な霧を使ったシーンです。
一方霧はホラーとかミステリにもよく登場します。見えない所から突然!というものですね。そういえばハリーポッターの映画も霧のシーンが多く、魔術師という幻想的なタッチに呼応しているんじゃないかと思います。

ただ私は霧ではありませんが、今でも霧を見ると一寸先も見えないような砂嵐の映画をすぐに思い出します。
それはタル・ベーラ監督の「ニーチェの馬」。世界終末戦争の後らしく、核兵器が巻き起こした砂嵐と深い霧が外の景色で、クリアなのは小屋の中のシーンのみの緊張感に満ち満ちた映画でした。

既に世界はほぼ終わっており、残ったこの小屋の親子の終末に向かう数日間を淡々と描いた秀作(ベルリン国際映画祭銀熊賞)でした。

穀雨とは二十四節気。田畑の準備が整い、それに合わせて春の雨の降る頃とされていますが、今年は雨でなく霧。
毎朝会社に着いたら神棚の水を替え、榊の水も交換します。割り合い榊は長持ちするのですが、今朝見たら枝についていた小さな蕾がひらいていました。水と日差しだけなのですが、凄いなあ~。

会社が終わり、女房に約束していたので、早々に家に戻ると裏の竹やぶに向かいました。先週の土曜日の朝筍採りをしましたが、今回はニョキニョキ、採らないと竹が伸びて往生するので、目につく筍を片っ端等から掘り出しましたが、10本にも。
まだ頭を出しているだけという筍を5本ほど残し(これは週末用)、ざっと竹の皮をむいて女房に渡しました。
燃えるゴミ(生ごみ含む)の回収日が火曜日と金曜日なので、木曜と土日で採らないと竹の皮が沢山出て往生するんです。
土曜の朝に採った竹の皮のうちは大きいものは、包装用に洗って拡げて干しておきます。こんな感じですね。

木曜日に採ったものは東京にいる次男夫婦とご近所さんに配る予定(先週土曜のは長男夫婦、神戸の娘、女房の実家、妹家族に配り済)。今回からは竹皮つきで配ろうかしら。
竹藪には山椒の木が何本かあり、木曜日に筍掘りで枝の近くを通ると、山椒の香りがするようになりました。これも竹皮と一緒に筍につけようかと。
さらに月末くらいには山椒の実がなるので、これまた収穫しなければ、去年はオリーブオイル漬けを作り重宝しました。

この季節、筍もぐんぐん伸びますが、神棚の榊の花には本当に驚きました。自然というのは偉大だなと思った次第です。

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