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ムカムカの向かう先

今年のベストブックに選んだ「沖縄の生活史」は本当に素晴らしいです。何十人の言葉が聞こえてくるのですが、それがそれぞれ違う立場、違う歴史、違う意見を持つ。沖縄戦で家族を亡くした人(もちろん多数です)、沖縄復帰の活動家だった人、沖縄出身で移民しハワイの米軍にいた人、沖縄司令部の唯一の生き残りの息子、ブラジルに移民しその後日本(鶴見)に戻った人、疎開で宮崎で疎開して沖縄に移った人、ドル→円の交換の時銀行に勤めていた人、等々様々です。
決してこういう一つのまとまった意見に導くものではない、それだからこそこういったオーラルヒストリーは素晴らしいと思うのです。
その中に60代の男性で高校からヤマトに渡り、沖縄に戻った人の言葉にハッとしました。丁度年齢的に私と同じくらいで、彼が話す時代の出来事も重なるのですが、まことに当を得たことをはっきりと言っておられます。そこを無断引用。

「これが復帰した後に、これがだんだん政治的なうねりの中で変わっていくわけよね。だから当時、学校崩壊っていうの、ちょっと前まで結構あったけど、学校崩壊の種類が当時と違ってた。当時は学校とか行政とか体制に反発するっていうのがあったわけさ。陰湿性っていうのはそんなになかったわけ。だから変な話だけど暴走族の種類も違うわけよ。麻薬なんてしないさ。当時、時代背景でいくと常識が変わっていく中で、子ども心にそれを整理できなくて、それが大人に対する反発って部分で跳ね返っていくっていう、これが大きな流れだったんだろうなって部分が、振り返って思うんだよね。正確ではないかもしれんけどね。だから当時の中学生・高校生の 反抗期の在り方っていうのと、今の反抗期の在り方っていうのは、人間が反抗期っていうのは一緒なんだけど、時代背景とかが違うから、育っていく感性自体がちょっと変わったんだなって思うよ。」

本当にそうだと思います。昔は先生や学校に対してむかむかしていて、同級生に対してではなかった。決していじめがなかったとはいいませんが、青少年期の吐き出す対象は個人や弱者ではなく、学校とか社会といった組織、大勢だったと思います。それが学生運動の表れでもあったと思いますが、それを圧倒的な力で抑え込んだ結果が、ムカムカの行き先が弱者に向いたのではないでしょうか。

この件もいじめられた女子に対して先生という組織が追い込むような姿勢。

校長先生や先生は「大人(先生)に対する反発」をとにかく抑え込むことが至上だという育ち方、生き方、考え方にたつ人だから、「反発」させないことこそが自分の存在を守ると思っているのだろうと思います。

先日読んだ「歌われなかった海賊へ」(逢坂冬馬)にもナチス政権化の教師が出てきます。教師は国家(ナチ)が正しいと言い続け、戦後はそれを消し去ろう、知らないことにするという登場人物でした。
一方「海賊」に登場する若者はナチやヒットラー・ユーゲントに対して「ムカムカする」ことから挑むという姿。重なりましたね。

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