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井戸に落ちた蠍

とても考えることの多い一冊でした。

#ライツ #note #wrl
そもそもこの本は図書館で借りたのですが、貸し出しがあったのが4月20日、ちょうど今回の統一地方選挙の明石市長選挙、市議会議員選挙の直前でした。
選挙結果は

この本を読んだらそりゃあこういう結果になるだろうな、と他の地域に住む市民としてとてもうらやましく思った次第。
本にも再三強調されているが、何が行政に求められているかを市民の目線や声から聴いていった結果の市政。
私の住む基礎的自治体の首長とはずいぶん違うが、それがよくわかるのはこの段、明石市長選挙に出馬を決めた時のこと

「対立候補は、兵庫県の知事室長経験者で、直前まで明石市を含むエリアの県民局長だった方。自民党と民主党が推薦、兵庫県知事も支援、医師会、商工会議所、商店街連合会、労働組合など業界団体のほとんどと、市議会の全会派が全面支援を表明していました。
つまり、政界や業界の組織票はすべて相手方に回っていたのです。
一方の私は、無所属です。
出馬会見で、記者から問われました。
『相手陣営は盤石です。政党も業界団体も固めて、知事の支援も受けています。あなたに支持母体はありますか?』
この質問に私は、はっきりと答えました。
『支持母体は市民だけです。でも、それで十分だと思っています』」

私の地元の市長さんは今回の選挙では自民党県連や公明党県本部、連合広島から推薦があり、更に後ろの推薦状を見ると、まあ業界総ぐるみでの支援といえましょう。

で、市民は本当に良かったのかな?「投票率は34.53パーセントと、過去3番目の低さでしたが、得票率は約8割と有権者の信任を得た形」ということなので、34.53%×80%=27.62%となり4人に1人の支持という程度。
明石市長選挙は投票率48.8%とほぼ2人に1人が投票というのも凄いが、後継の丸山氏の得票率は65%だから48.8%×65%=31.72%と3人に1人が支持。これは随分違うな。


さて実はこの本を読んで一番気がついたことがあります。それは泉氏の職歴並びに今回市長から離れた決断からです。

私は中小企業の三代目という立場で、歳も泉氏より上です。ご多分に漏れず厳しい経営環境下で、事業承継という課題もありますが、幸いにも長男が継ぐ方向で一緒に働いてくれています。私も高齢者になった年でもあり、事業承継にも取り組まねばと、自分ながらにタイムラインを決めているのですが、よく考えたら「辞める」という決断があまりに中途半端だったことに気がつきました。

「辞める(引退する)」のは当たり前として、では辞めた後、自分が死ぬまでの数年、何をするのか?を考えていなかったことです。定年後は趣味に生きるなんて聞きますが、いやそれって自分の終末期に向けての本当の望みでしょうか?
否!

GWの休みの間考える時間もあり、社会に少しでもお手伝いをすることが私の晩年の仕事だと思い到りました。
もちろん今も中小企業で社員の生活を支えるために、四苦八苦、悪戦苦闘の日々ですが、事業承継後会社に残っていても、後継者にとって邪魔なだけなのは、自分が二代目から継いだ時に身に染みて感じていたことですから、借金は背負いますがなるべくきれいに事業そのものは渡したいのです。
そして今まで生きてきたことへの恩返しを、わずかな余生の間かもしれませんが、必要とされる方に戻したい。

どこかでそう思っていたことに気がつきました。

経験上それを強く感じたのは広島で行われた全国身体障害者スポーツ大会のお手伝いをしたときでした。その過程で今まで知らなかったこと、泉氏の言葉で言えば、健常者という多数派の立場だから障害者という少数のことを見て見ぬふりをしてきたことに気づき、あの時から少数者の存在に少しずつ目が行くようになりました。
会社の立場も経営者なので、それこそ会社の少数者(一人一人)の大事さが少しずつ分かるようになったのもこれがきっかけでした。

だとしたら、今から晩年一所懸命に取り組むべきことは、このことではなのかと思うのです。
それを片手間でなく、覚悟として全力で向き合うために、泉氏が社会福祉士を取られた話を読み、コロナ初期に持ち上げられてそれっきりの「エッセンシャルワーカー」のいずれかに取り組もうと決意しました。
もちろん肉体、年齢的なこともありますから、出来ることをしっかりと検討しなければなりませんが、資格が必要なものなら直ぐには出来ませんから、3年後までに取得するために、来年から通信教育とスクーリング実習の学校に行こうと思います(まず今年は体調と体力づくり)。

70までに資格を取ったら、晩年の出来れば10年間必死で恩返ししたいと思います。それを決意させてもらったことが、一番この本を読んで大きなことでした。連休明けには地元紙で先人がいることを拝見し、励まされた気持ちです。

宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」の中にこんな所があります。青空文庫からコピペします。

「むかしのバルドラの野原に一ぴきの蝎がいて小さな虫やなんか殺してたべて生きていたんですって。するとある日いたちに見附かって食べられそうになったんですって。
さそりは一生けん命遁て遁げたけどとうとういたちに押おさえられそうになったわ、そのときいきなり前に井戸があってその中に落ちてしまったわ、もうどうしてもあがられないでさそりは溺れはじめたのよ。そのときさそりは斯う云ってお祈りしたというの、

 ああ、わたしはいままでいくつのものの命をとったかわからない、そしてその私がこんどいたちにとられようとしたときはあんなに一生けん命にげた。それでもとうとうこんなになってしまった。ああなんにもあてにならない。どうしてわたしはわたしのからだをだまっていたちに呉れてやらなかったろう。そしたらいたちも一日生きのびたろうに。どうか神さま。私の心をごらん下さい。こんなにむなしく命をすてずどうかこの次にはまことのみんなの幸いのために私のからだをおつかい下さい。

って云ったというの。そしたらいつか蝎はじぶんのからだがまっ赤なうつくしい火になって燃えてよるのやみを照らしているのを見たって。いまでも燃えてるってお父さん仰っしゃったわ。ほんとうにあの火それだわ。」

みんなの幸いのために晩年を生きます。

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