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「品とは何か」「謙虚とは」

先日来読んでいる堀文子さんの本から引用です。

「『品とは何か』ということですが、品とは、その人やものの中に本来あるものだと、わたくしは思っております。本当であるとか、自然であるとか、そういうこと。造ったものではなく、生き生きと本当に生きているものが品が良いということだと思うのです。
ですから、ごまかすとか、○○ぶるとか、そういったものが見え透くと、ゾッとするほど下品だと思ってしまいます。
今の日本人は、責任を取ることを恐れ、言い切らない、ごまかしと、いい加減さが蔓延しています。
そして、愛されたい、好かれたい、若くてきれいでいたい、おいしいものが食べたいということに目の色を変えている。この国から、老成や熟成の美が消えました。
何にしても、自分の身に余りあるほどのものを持ってはいけないということなのではないでしょうか。人間は、欲だらけになったら駄目なのです。着たい、見たい、もっと欲しいという気持ちを、私たちはもう捨てていかなければいけないと思うのです。」

もちろんテレビ等のメディアはこれにドップリですから、見たくなくなるのは当然かと思いますが、東京五輪の守銭奴問題もあきれ果てたもの。もちろん検察も組織委員会解散後に摘発するというのもあまりに茶番で開いた口がふさがりません。
あげくに「みなし公務員とは思ってもいなかった」なんて、誰もが信じないようなあきれ果てた誤魔かし文句。

またそれに対するオリンピアンもええかげんだと思う。自分を守りたい一心なんだろうね。
♪知っているのに 知らんふりいつもつめたい あの瞳なぜ なぜなの♪ は安西マリアの「涙の太陽」ですが、ピッタリじゃ。

もちろん「旧」の問題も同様。これも酷い誤魔化しだね。

とはいっても「旧」の誤魔化しで言えばまずは西に横綱がこちらだろう。

もちろん東の横綱は堂々のこちらです。でるわでるわ、次から次へと暴露されるのはやっぱり昭恵夫人ご指名の「悪だくみ」の一員だけのことはある。

これだけ「品」が欠けている人が大手を振っているのは、急にそうなったわけじゃない、安倍氏の観桜会やモリカケでも誤魔化し誤魔化しを国のトップがやり、高級役人がそのお先棒を担ぎで、正面突破で後は知ったことではないという姿勢が、この党には充満しているのだろうし、もちろん五輪の組織委も同じ穴の狢だ。
そうだ、それを指摘できないN○Kや民放、大手新聞社も同じ穴の狢。だから誰もテレビのニュース見ないし、新聞も発行部数がグングン落ちるばかり。私もN○Kのニュースは大雨なんかの報道以外全く見なくなったな。

彼らが一様に忘れているのは、こういう「品」のないこと、胡麻化したり見え見えの嘘をつく人は一事が万事そういう人だと思われるということだ。
萩生田氏も山際氏も生稲氏も高橋氏もそう。これからやることが良い事であっても、決してそういう目では見られない。クレーム対応と全く同じで、胡麻化すと後を引くし、結局は数倍のツケを払うことになる。誰もが知ってるが、当事者は胡麻化すことができると思ってるんだろうし、この組織そのものがそれを許す組織だということでもある。

本日のタイトル写真は敬愛する「平澤興」先生の色紙の言葉。もう何年も前になるが新潟の記念館で購入したもの。

書かれているのは
「拝天拝人拝己悉之無限(天を拝み、人を拝み、己を拝むはことごとくこれ無限なり)」
私たちの周りには見苦しい人ばかりではない、こういった心がある「品」のある人がいないわけではないのだ。その事を謙虚に受け止めたい。

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