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広島に行ったよ、ドームに行ったかや?

今朝の地元紙はデカデカと広島でのサミット決定とあった。
ご同慶の至りだが、果たして一国のトップの我田引水ってどうなんでしょうね。自分の選挙区にっていうのは露骨じゃないかな。まあ、誘導は前々総理を踏襲してということだろうか。
さて、彼が仮に今回のサミット誘致により、自分は原爆投下に対して、広島に対して、しっかりと務めを果たしたとでも思ってるとしたら大間違いだろう。

ここ数年各国の要人が来広することが増えてきている。オバマ大統領が一つの象徴かもしれないが、フランシスコ法王も長崎の帰りに寄られたし、昨年はもう既に忘れられていると思うがバッハIOC会長も来た。それぞれ「原爆の実相を見ていただきたい」というワンパターンの地元の首長によるコメント付きであるが、どうなんでしょうか。

私はオバマ氏の前後で指導者の来広する価値は変わったと思う。それは来広者に対してであり、また広島の人にとってもである。
オバマ氏の来広後の対応を見ても、来ること、足を運ぶことに価値があったのはあの時まで。その後は「来たのはいいが、じゃあ、なにをするのか」というアクションが判断される段階に来ていると思う。
だから今回も広島の指導者が「広島で核の実相を…」という旧来のまま変わらず求めるというのは大間違いだ。もう「で、あなたは何を約束するのですか?」を求めなければならないんじゃないだろうか。
それは主催者の広島選出の総理大臣に対しても求めるべきことだ。「で、首相ご自身は広島のサミットでどういう成果を国民に、世界に約束するのですか?」
もちろん各国の首脳も来るだけでは「もはや」意味はない。「どういう約束の実行を確約するために来るのですか?」だ。

去年はバッハ氏の来広の時、雨降る中平和公園の慰霊碑に行った。「彼は何を約束するのだろうか?何のために来たのだろうか?」
結局その時も、その後の振る舞いを見ると、結局は無理やり五輪を平和の祭典とこじつけるためだけのパフォーマンスだったようだ。8月6日の朝、東京五輪会場で彼は何かしたか?それが彼の心の表れだ。


恐らくここを強く求めないと、被爆78年の来年、このサミット来広者たちはお茶を濁して終わるだろう。もう78年経つんだぞ!
「広島に行ったよ、酔心に行ったかや?」というようなCMがかつてあったが、物見遊山である。

日本政府のサミットご担当は広島でやる意義、意味などこれポッチモ考えていないだろう。彼らの頭にあるのは開催地選出の首相の顔をつぶさないこと、そして粛々とシナリオ通りにサミットを開催し、閉会すること、これしかないだろう。バッハ氏の来広時の警察の警備には呆れたのだが、こういうことを書くと私も来年は要注意人物だろうな。

こういうのはもううんざりだ。地元紙にはこうあった「もてなし準備本格化へ 広島県・市・商議所の誘致活動実る」もう平和で商売するな!


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