見出し画像

大禹謨→殺生石→安芸高田の関係は?

「円筒分水」の最後に書いた「大禹謨」。「だいうぼ」と読みますが、中国の古代王朝「夏」の名君「禹王」は治水で有名。ご利益があるように水利工事等がある場所では禹王にちなんで、このような「大禹謨」というのが立てられているところがあるのだそうです。

ですから大禹謨とは大=偉大な、禹=禹王、謨=計画なので、「偉大な禹王の計画に沿って」という記念碑でありましょう。

前回も最後に書きましたが、広島の緑井界隈が以前大変な土砂被害が起き、たくさんの人がなくなり、また被害にあわれました。

私はピースキャンドルの関係でその頃は毎年、佐東公民館や緑井小学校で指導をしていましたので、矢も楯もたまらず、ボランティアに伺いました。建築家の坂茂氏が紙管と布で被災所に仕切りをする事業をやられているのを知っていたので、安佐北区や安佐南区でそれを展開するのを少しお手伝いしたりする中で、可部小学校、緑井小学校、佐東公民館に伺いました。

その時にキャンドルで存じ上げていたPTAさんがボランティア活動されていたり、公民館の方が必死に活動されており、色々な話を伺うことができました。その話はまたいずれ…

翌年落ち着いたところ公民館に伺うと「実は『第四回全国禹王まつり 禹王サミット in 広島』をやる予定だったのだけど、土砂災害でリアルは中止、誌上開催になった」ということで、一冊報告書をいただき、お話を伺いました。

その冊子を読んで禹王の存在を知り、治水の大事さを痛感したのです。また、知らなかったことも発見。伝説では「禹王」の出身地は「九尾の狐」がシンボルなんだそうです。

九尾の狐となると、能の人気演目「殺生石」ですがな。

能では、九尾の狐は遣唐使の「吉備真備」が帰国する時についてきて「玉藻の前」という美女になって鳥羽上皇を籠絡。宮廷を乱したため、とうとう退治されて那須の殺生石に封じ込められた。ずいぶん経ってから備後の和尚「玄翁」がその石のあたりを不審に思い、いってみると九尾の狐が封じ込められたものがであると知り、その魂を弔って成仏させた。

というのが能であるが、どうも民話としては続きがあり、悪さをするので、備後の和尚「玄翁」が打ち砕き一巻の終わりとなった。しかしその石は欠片となって飛び散り全国の「高田」と呼ばれる地名の所に飛散したそうである。新潟の高田市もあるけど、市だと「陸前高田」「大和高田」「豊後高田」、そして広島の「安芸高田」もその名残らしい。

高田エリアの方、悪いメギツネが悪さする場所だから、くれぐれも気をつけなされよ。

いずれにしても、大禹謨→殺生石→安芸高田と関りがあるのであるのだわい。

それと「玄翁」和尚が石を砕いたとあるが、それってやっぱり「玄翁(げんのう)」を使ったんだろうね、いやいや、これを契機にあれを「玄翁」と呼ぶようになったのだろうか…


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?