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古紙回収の国

日曜美術館の再放送(「ビルケナウ 底知れぬ闇を描く ゲルハルト・リヒター」)を見ていたら最後のアートシーンのコーナーは「展覧会 岡本太郎」展でした。「TAROMAN」監督・脚本の藤井亮さんも登場し、なかなか面白かった。番組の紹介ですが

「岡本太郎のパリ時代の作品は空襲ですべて失われたと考えられていたが、最近発見された3点の作品が岡本の筆によるものと鑑定された。また、長年行方がわからなかった作品の多くは、実はその後筆を加え、別の作品になっていたことも判明した。「TAROMAN」の制作にあたり、「岡本の言葉に励まされた」という藤井。作品を鑑賞しながら、岡本太郎の新たな魅力を発見していく。」
というもので、描かれた作品の下の作品というのは凄かった。まさに岡本氏の面目躍如でありました。しかしなんといっても「太陽の塔」の存在は強烈でした。

私も小学生の時に万博広場で太陽の塔を見て、正直仰天しました。それこそ「なんだこれは!」だったのです。
その万博は色々展示がありましたが、今でも残っているのはこの「なんだこれは!」の太陽の塔だけ。造られたときは賛否両論あったと思うのですが、結局生き残っているのはこれが間違いなく「芸術」だったからでしょう。その事を50年という時間が証明したと言えそうです。

この日のETVは続けて「クラシック音楽館」で「新・日本のピアノ」でした。

全く存じ上げなかった矢代秋雄「ピアノ・ソナタ」に度肝を抜かれ、勉強不足を痛感しましたが、「驚き!70’万博の現代音楽パビリオン 吉松隆・西村朗・片山杜秀が語る万博の思い出」のドイツ館のシュトックハウゼンのライブ(?)の話は傑作でした。
密封されたホールで、わけのわからない不協和音風のシュトックハウゼンの演奏。演奏中は外に出られない観客はいったい何を感じたのだろうか、多分「ドイツ交響曲みたいなのを期待してきたのに、何じゃこの雑音は!」という感想だったのでしょうが、結局シュトックハウゼンの音楽は今でも生き残っています。岡本太郎同様に芸術だったからでしょうね。

先日のW杯ではカタールの競技場の素晴らしさに驚きました。もちろんイベントを続けない限り、これら会場の維持は大赤字なんでしょうね。
その中で新国立競技場のデザインコンパで散々な目にあわされたザハ・ハディド氏の設計によるアル・ジャヌーブ・スタジアムは、まさに日本の新国立競技場のデザインにあったようなデザインで、圧倒されました。

で、我が国の隈研吾氏によるデザインの新国立競技場は、横から見ると自走式掃除機、上から見ると洋式便所の便座で、とてもアル・ジャヌーブ・スタジアムとは比べ物になりませんね。
まあ「どうせ50年以内に壊すものだから」という考えかもしれないけれど、それでも壊れるまでは何十年も、国民のお荷物になりそうです。

今読んでいる「文にあたる」(牟田都子)さんの本。校正者というお仕事ですが、校正の対象も小説からチラシ、Webまで様々。それぞれの校正はそれぞれに難しさがあるようですが、こういうところがありました。

「チラシやカタログの多くは用が済めば処分される。本は残すことを目的として作られることも少なくありません。誰かの本棚に、図書館に、何十年も、もしかしたらそれ以上長く残り、折々に読み返され、参照され、引用されて歴史の一部を作るかもしれない。」(72頁)

太陽の塔もアル・ジャヌーブ・スタジアムもここでいう「本」、後世に引き継ぐものでしょう。一方既にお荷物になっているこちらはどうやらチラシで、古紙回収業者にも出せない部類のようです。世界は「本じゃなくてチラシを選ぶ国」として日本を見るのではないでしょうか?
政府はここ10年以上クールジャパンで旗を振ってきましたが、どうも成果が出ず、やはり失政の部類のようです。

それはクールジャパンが扱っていたものは、失礼ながらまだチラシの段階で、それを「本」に仕上げて価値があがるものを、チラシのままばら撒いてしまったからではないでしょうか。チラシのままではいっとき目は引きますが、そのままでは興味は消耗されてしまいます。本のレベルまで成熟させないと、まがい物と見られてもしかたなかったかもしれません。
もちろんクールジャパンが扱っていたものは、本、本物に仕上がる原石であると思いますから、長く時間をかけていかなければならないと思うのですが、どうやら財務省+経産省辺りは早々に古紙回収屋さん送りにしそうですね。

そしてその間違いの裏付けはここでも見られるようです。


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